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北米開教区

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほくべいかいきょうく/北米開教区

北米における浄土宗開教区浄土宗北米開教本院とシカゴ浄土宗会所の二寺院で構成されている。ハワイ開教区ワイルク浄土院主任開教使兼ホノルル開教院駐在開教使であった野崎霊海が単身でアメリカ本土の開教を志し、浄土宗学生となってロサンゼルスに渡った昭和三年(一九二八)が北米開教の端緒となっている。野崎は、大学で学ぶ傍ら、地元の日本語学校教師を勤めたり、禅宗寺院の手伝いをしながら、他の浄土宗教師らとともに教会所開設の準備を整えた。教会所が設置されたのは同一一年一二月であり、翌一二年五月に北米浄土宗開教本部となり、野崎が初代監督となった。しかし、同一六年の日米開戦によって野崎等は強制収容所に抑留され、開教活動は中断された。同二〇年の戦争終結後に活動を再開し、同二二年九月にリトル東京区に広島県人会の会堂を借りて、仮教会所を開設。同二四年にはロサンゼルス市西ジェファーソン街のメソジスト教会の建物を購入して北米浄土宗別院とした。同五三年に野崎は逝去したが、二代総監にハワイ開教区の河合了勝が就任し、新たな開教活動を展開するためにリトル東京の再開発地に新築移転を計画し、同六三年には地鎮式を、平成二年(一九九〇)には上棟式を行い、同四年六月その完成をみて落慶法要が修された。この事業達成のために、浄土宗は現地法人を設立しており、建物中には浄土宗北米開教本院が設置されている。また、佛教大学ロサンゼルス校も同建物中にある。シカゴ浄土宗会所は、ロサンゼルス教会所在留開教使無垢品むくしな在真が、昭和二〇年(一九四五)七月にニュージャージー州シーブルックに教会所を開設したが、同二七年にはシカゴに移って自宅を教会所として家庭布教、ラジオ布教(日本語放送)などを行った。また同六〇年には高橋俊浄が二代主任開教使に就任して現在に至っている。


【参考】『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)


【参照項目】➡浄土宗北米開教本院海外開教


【執筆者:水谷浩志】