光運寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
こううんじ/光運寺
三重県四日市市中部。三重山大知院。伊勢教区№一九。もとは上野国の明観が聖覚の墓参に安居院へと向かう途次、正安三年(一三〇一)に、聖覚を開基として当地に開創した唱演道場、東源院尊乗寺である。応仁の乱によって烏有に帰したが、文明四年(一四七二)超順が一宇を建て、知恩院二七世光然を開基に仰ぎ光運寺と改称、念仏道場とする。慶長一一年(一六〇六)二世伴旧が本堂を創建。昭和二〇年(一九四五)に堂宇や宝物を焼失、戦後仮本堂として再建される。夢告により九世乾誉が奉安した延命地蔵尊は毎月一〇〇人以上の参詣者を集めている。
【資料】『翼賛』一七、『蓮門精舎旧詞』一四(続浄一八)、四日市市教育会編『四日市市史』(四日市市教育会、一九三〇)
【執筆者:朝岡知宏】