仏定
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぶつじょう/仏定
享保一九年(一七三四)—寛政一二年(一八〇〇)一一月二二日。謙蓮社遜誉僊阿、諱を誡誠、字を蒙光という。俗姓は山口氏。丹後国熊野郡円頓寺村(京都府京丹後市久美浜町)に生まれる。幼くして豊岡来迎寺にて出家し研鑽をつむ。後、増上寺南渓の貞現の室に入る。大雲より五重を授かり、祐天、定月に師事して円頓戒の伝授を許される。明和二年(一七六五)に故郷にもどり、一切経被閲の志を起こし、三七歳にして一切経を全閲し、日課称名三万遍を怠らず、道俗を勧誡する。その後知恩院五七世となった貞現に勧められ智恵光院に住す。貞現滅後六都鑑に任じられ、五四歳にして都鑑の職を辞すも、洛東に大火が起こり、その復興に尽力。再び都鑑に任じられるも老齢故に河東の専念寺に移住し、六〇歳にして都鑑を辞す。寛政一一年(一七九九)貞極の『蓮門住持訓』を被閲して感嘆し、二十余条を新たに記して『続蓮門住持訓』を作成し、弟子等に授けたという。晩年は智恵光院に住居を移して入寂。著書は他に『日課念仏投宿編』『日課念仏勧導記』などがある。
【資料】『専念仏定和尚行業記』(浄全一八)
【執筆者:郡嶋昭示】