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五障三従

提供: 新纂浄土宗大辞典

ごしょうさんじゅう/五障三従

仏教が展開するなかで現れた、女性観を示す語。五障は女性の資質や能力上、女性には達成できないと主張される五つの事柄のことで、梵天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏にはなれないことを指し、『中阿含経』二八所収の『瞿曇弥くどんみ経』、『増一阿含経』三八、『五分律』二九、『法華経提婆達多品などに見られる。三従は、『超日明三昧経』下に「少くは父母に制せらる。出でて嫁ぐは夫に制せらる。自由を得ず。長大なるは子に難ぜらる」(正蔵一五・五四一中)と論じるように、女性の生涯を年少・結婚後・年を重ねた後の三期に区分した上で、女性は生涯にわたり家族内にあって従属的であるとすることを指す。これらの女性観は、バラモン教に基づく『マヌ法典』の所説にみられる、人間は生まれつき女性より男性のほうが資質や能力に優れ、女性は男性に従属するものという古代インドの人間観や当時のインド社会の実情が影響したものと考えられる。その一方で釈尊は女性の出家を認め、さらには仏教が目指す境地の達成は「生まれ」によって左右されるものではなく「行為」によることを説いている(『スッタニパータ』一三六、六五〇)。法然は、「念仏往生がかなうとは聞いているが、(阿弥陀仏は)自分のような五障の身をもお見捨てにならないということであるなら、詳しく教えてほしい」(趣意)との問いに対し、「(阿弥陀仏は)臨終の時諸の聖衆とともに来たりて必ず迎接したまう故に悪業として障うるものなく、魔縁として妨ぐる事なし。男女貴賤をえらばず、善人悪人をも分たず、心を至して弥陀を念ずるに生まれずという事なし」(『十二箇条問答』聖典四・四三九~四〇)と答え、選択本願念仏によるところの極楽往生は、男女をはじめ、念仏を申す機の如何に左右されることはないと明示している。なお三従は、『礼記』など儒教においても説かれる。


【資料】法然『禅勝房にしめす御詞』『念仏往生要義抄』


【参考】望月信亨『浄土教の起原及発達』(共立社、一九三〇)、渡瀬信之訳『サンスクリット原典全訳 マヌ法典』(中央公論社、一九九一)


【執筆者:袖山榮輝】