一五世紀初め頃、生没年不明。聖蓮社順誉。鎌倉光明寺六世。伊東七郎左衛門尉祐勝の庶子。初め定慧の室に入り、後に聖冏に従って性相を質し二蔵の蘊奥うんおうを究めた。応永一一年(一四〇四)には鎌倉光明寺四世良順から璽書を受け六世となる。永享一一年(一四三九)光明寺を良吽りょううんに譲った後は、あらゆることを投げ捨てて、念仏のみを修した。
【資料】『鎌倉光明寺志』、『鎮流祖伝』四、『新撰往生伝』一
【執筆者:南宏信】