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「当麻曼陀羅縁起」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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2018年9月17日 (月) 10:08時点における版

たいままんだらえんぎ/当麻曼陀羅縁起

二巻。當麻寺の由来と曼陀羅の織成由来を書いた絵巻。鎌倉時代(一三世紀)の作で、紙本著色の金銀泥、截金きりかねを交えた多彩典雅な絵巻である。鎌倉光明寺蔵本は国宝に指定されている。これとは別に三巻本が當麻寺に所蔵されているが、内容的には大差はない。また、前書を古縁起と称すのに対し、新縁起と称している。内容は以下のとおり。當麻寺は用明天皇の第三皇子麻呂子親王の建立の寺である。大炊おおい天皇の代に横佩よこはぎ大臣おとどという人の娘が、春の花に心を染め、秋の月に思いを寄せる雅の道に入らず、深く仏の道を尋ね、法の悟りを求めた。『称讃浄土経』を一千巻書写して、この寺へ納めた。娘は天平宝字七年(七六三)六月一五日、信仰の生活に入り、生身如来を見奉りたいと寺に入り、堂に籠った。七日間一心に誠をつくした。最後の日、一人の比丘尼びくにが現れ、娘の祈念の志に随喜して来たと言う。九品の教主を拝しようと思うなら、蓮の茎を百駄集めるように言う。親に近江の国から集めてもらう。化尼が来て茎より糸をつくった。井戸を掘り不思議な力によって五色の糸に染める。二三日の夕に化女が来て堂のいぬいの隅で戌の刻より寅の刻にわたって織りあげた。一丈五尺の曼陀羅一幅を織り、竹の節のないものを軸として掛けた。輝く玉のような、金をちりばめたような荘厳は、鮮やかに尊く光明は遍く照した。化女は五色の雲にのり消えるがごとく去った。化尼は曼陀羅の説明をした。南のへりには序分をあらわし、北のへりには三昧正受のむねを述べ、中台には四十八願浄土の相をととのえ、下方には上中下品来迎の義を顕すことを述べる。娘は、これを聞き浄土に生まれたいと思った。弥陀の智願により生身如来を拝し、極楽荘厳を観たのである。涙を流し感動した。尋ねると化尼は西方極楽の教主であり、化女は観世音菩薩であると言って、西方に飛び去った。娘は信仰をますます深め、宝亀六年(七七五)三月一四日、願いのように西方極楽往生した。西方より楽の音は響き、迦陵頻伽かりょうびんがさえずりも聞き、聖衆来迎したまい摂取不捨本願を頂いた。


【所収】浄全一三、仏全八五


【参照項目】➡当麻曼陀羅中将姫


【執筆者:塩竈義弘】