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「伊藤祐晃」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版

いとうゆうこう/伊藤祐晃

明治六年(一八七三)一二月一一日—昭和五年(一九三〇)一月一一日。大蓮社明誉照阿。号は指月庵。浄土宗史の研究家。現在の山口県萩市呉服町に伊藤嘉右衛門・金子たきの末子として生まれる。京都三条大宮妙泉寺の関祐嶽のもとで得度、名を祐晃と改める。明治二四年(一八九一)浄土宗京都支校尋常科を卒業、翌年愛知県額田郡形野村大泉寺住職となるが、一年後に近衛師団に入営、日清戦争に従軍し同二九年除隊。同三一年第三開教区開教使として朝鮮半島に渡り京城に開教院を、同三四年には開城に開城学堂を設立、開教事業の基礎を確立した。同三七年京都に戻り、松原通大宮西照寺住職、日露戦争に出征、同四二年百万遍知恩寺山内了蓮寺住職となる。宗教大学幹事、同大学図書館理事、総本山知恩院顧問、宗宝保存委員を歴任。世寿五八歳。編著書に『広疑瑞決集利剣名号折伏抄』(三師講説発刊所、一九一四)、『教行信証破壊論 附宗名一件抜書』(中外出版、一九二四)、『浄土宗史年表』(『浄土宗学講座』一音社、一九二六)など。浄土宗史に関する論文は、没後、娘婿塚本善隆三田全信により遺著『浄土宗史の研究(乾)』(伊藤祐晃師遺稿刊行会、一九三七)として刊行された。


【執筆者:今堀太逸】