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三階教

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんがいきょう/三階教

中国の隋代を中心に活躍した信行(五四〇—五九四)を開祖とする中国仏教の一宗派で、六世紀後半から九世紀前半にかけて都の長安を中心に都市型仏教として栄えた。「三階」の教えは、時代や人々の仏道修行の素質・能力の違いに応じて第一階・第二階・第三階の仏法を説いたもので、第一階が一乗根機、第二階が三乗根機であるのに対して、三階教徒が生きる時代においては大半が邪見に満ちた第三階の衆生であり、悟りに至る可能性が断たれているとする。第三階の衆生の本質は他者の如来蔵仏性の否定(空見)と自己の如来蔵仏性の肯定(有見)に帰着するのであるから、救済の道があるとすれば他者を全面的に肯定し敬う普敬ふきょうの実践と自己に全面的に悪を認め懺悔する認悪にんあくの実践以外にはないとして、一切の仏・法・僧・衆生に価値判断を加えることなく普く真実で正しいものとして受け入れていく普真普正仏法の実践をめざした。このような三階教の思想と実践を華厳宗智儼ちごんなどは積極的に評価し『華厳五十要問答』にも引用している一方で、阿弥陀仏という特定の仏を信仰の対象とした浄土教とは激しく対立した。懐感は『群疑論』で、「三階」という枠組みが経文に見いだせず恣意的である点、開祖信行が仏の上位に置かれ神格化されている点などから三階教を厳しく指弾している。また、国家も三階教の独特な教義や活動を異端とみなし、七世紀から八世紀前半にかけて数回にわたって禁圧を加えた。九世紀前半に教勢を取り戻した時期もあったが、その後は宗派としての独自性が失われ次第に衰微していった。


【参考】矢吹慶輝『三階教之研究』(岩波書店、一九二七)、西本照真『三階教の研究』(春秋社、一九九八)


【執筆者:西本照真】