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三経一徹

提供: 新纂浄土宗大辞典

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さんぎょういってつ/三経一徹

浄土三部経」の本旨は、一貫して念仏往生にあると示す言葉。法然は『選択集』一六において、「浄土三部経」のうち『無量寿経』と『観経』には三種、『阿弥陀経』には一種の選択がそれぞれ説かれているとしつつも、「釈迦弥陀および十方の各恒沙等の諸仏、同心に念仏の一行を選択したまう。余行はしからず。故に知んぬ。三経ともに念仏を選んで、以て宗致とするのみ」(聖典三・一八五)と主張する。また『選択集廬山寺本の一二章(昭法全三四二)や『漢語灯録』所収の『無量寿経釈』(昭法全六七)、『観無量寿経釈』(昭法全九八)、『阿弥陀経釈』(昭法全一三三)の来意を照らし合わせると、「浄土三部経」のうち、まず『無量寿経』で阿弥陀仏酬因感果しゅういんかんか、つまり本願浄土建立が説かれるとともに念仏行相が示され、次に『観経』では衆生修因感果しゅいんかんか、つまり往生の因行(定散二善と念仏)と九品往生が説かれ、釈尊の真意は念仏にあることが示され、最後に『阿弥陀経』で諸行往生が完全に廃され、但念仏往生が説かれたという順序が読み取れる。


【執筆者:齋藤蒙光】