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廬山寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ろざんじ/廬山寺

京都市上京区北之辺町。天台円浄宗本山。天慶年間(九三八—九四七)船岡山の南に慈恵大師良源が開いた与願金剛院を前身とする。鎌倉初期、住心房覚愉夢告によって出雲路(京都市北区)に廬山天台講寺として再興。室町初期、明導房照源(六条有房の子)が、本光禅仙から継いだ北小路草庵と合併して中興。明導は天台僧として「大僧都常住房房雲」を名乗ったが、後に康空示導浄土宗西山流本山義祖)に師事。その講録は「廬談」と呼ばれ、天台宗で尊重されている。後醍醐天皇の帰依を受けた明導、その後を継いだ同門の仁空実導、入宋中に没した明空志玉など、歴代住持は公家との接点が多い。江戸時代には、同じく西山流般舟三昧院・二尊院遣迎院と共に、皇室の仏事を司る「黒戸の四箇院」と呼ばれた。当寺所蔵『選択集』写本一巻(廬山寺本)は、室町時代から「法然自筆」として名高く(『康富記』)、『選択集』諸本研究に重要な位置を占める草稿本である。


【資料】『仁空置文』(『続群書類従』二八下)、『廬山寺縁起』(『続群書類従』二七上)


【参考】岩田教円「大日経義釈捜決抄の刊本と廬山寺流の教学について」(『山家学報』新八、大正大学天台学研究室、一九三三)


【執筆者:稲田廣演】