真阿
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しんな/真阿
一
天授二年(一三七六)—永享一二年(一四四〇)。西山浄土宗の歌僧。良仁という。後亀山天皇の皇子。はじめ帥宮といい、出家後は義恩といったが、のちに真阿と改めた。京都誓願寺に住み、将軍足利義教と和歌の道交があったことから、帰依をうけた。やがて義教は元誓願寺通小川の辺に十念寺を創立し、供養田四八石を寄せて真阿を開山とした。また、法然が建永の法難で讃岐に配流されたときの遺跡である鳥羽一念寺の荒廃を悲しみ、永享九年(一四三七)再興し法相宗から浄土宗に改宗したと伝える。
【資料】『緇白往生伝』、『後鑑』、『深草史』
【執筆者:中西随功】
二
安永九年(一七八〇)—嘉永三年(一八五〇)一月二五日。法蓮社戒誉真阿如実算孝道顕興。大阪一心寺の中興。大坂に生まれる。九歳で天満(大阪市北区)長徳寺の安誉について出家し、一五歳で増上寺に遊学、実海に嗣法した。のち執法職となり殿宇再建にあたり、その後は諸国を行脚し念仏を弘めた。また、四天王寺の懇請により念仏堂再興につとめ、晩年には知恩院二九世尊照の依頼によって一心寺を再建した。
【参考】前田聴瑞編『一心寺誌』(一心寺、一九三九)
【執筆者:大屋正順】