神
提供: 新纂浄土宗大辞典
かみ/神
超自然的な力能によって、人びとの中に畏怖や驚愕、あるいは讃仰・帰依の感情を呼び起こすとともに、また信仰・礼拝・祈禱・祭祀などの行為の対象とされる霊格の一種をいう。そうした体験とそれに連動する一連の行為とは、「宗教」と呼ばれる複合的なシステムの核心部分をなすものと言ってもよい。実際、古代以来の宗教史にはほとんど数限りない神(神々)が登場してくるし、その姿ははなはだ多様性に富んでいる。その様相は、一般に後代に伝えられた「神話」などの伝承・記録、さらにはそれと密接につながる祭祀習俗から窺うことができるが、その基本的な特徴として以下のことを指摘できる。
[神の諸相]
神(神々)は、とりわけその心的な属性や働きについて、人間との比較を絶するほど優れていながら、しかも他方で、まったく隔絶した存在ではなく、通常の人間と相互に交流しうるものとして、擬人的に表象される場合が多い。つまり、われわれと同じ喜怒哀楽の感情のほか、また自らの意思と理性とをもち、行動や言葉を通じてそれを開示すると想定されている。そもそも神への祈りや礼拝といった行為は、この想定の上にこそ成り立ちうる。ただし、この交流は同一の次元においてではなく、あくまでも本質的に不均等な二者のあいだになされるのは言うまでもない。次に、歴史上の多くの事例が示すように、これら神(神々)には男女の性別をはじめとして、さまざまな社会的属性・役割を与えられたものが少なくない。これは基本的には、彼らの祭祀を生みだし、支えてきた社会的・文化的な背景との関連から理解することができる。例えば、農耕を基盤とする社会で祀られる神は、農作を司るものとされるのが通例であるし、その他の職業集団がそれ固有の神を有するのもひろく観察される事実である。こうしてさまざまな「機能神」が成立する。また、多くの神(神々)がそれぞれの地域と何らかのつながりを有するのも、同じ理由からとみて差支えない。
[神の消長]
非日常的なものとしての神の体験は宗教の根源の一つと考えられるが、いったん成立すると、そのシステムは他のさまざまな動機も加わって独自の展開を遂げていく。その一端を「神の名」に見ることができる。すなわち、固有の名をもつことで、神は名もない低位の諸霊(精霊・祖霊など)とは区別され、明確な地位と個性をうるとともに、また一定の範囲では、その直接の地盤を離れても信仰されうるものとなる。そして、このようにして複数の有力な神が生まれたとき、古代エジプト、地中海世界・インド・日本などに典型的にみるような「多神教」という宗教形態が出現する。この多神教的な状況を反映する神話では、神々はただ漠然と並存するのではなく、世代モデルによる「神統記」に組み込まれたり、あるいは人間社会と似た階層をなすものとして描かれたりすることが多い。またある文明段階から後になると、そこにさらに神や人間をも含めた宇宙の起源や運命といった主題が表れ、「創世神話」という形で世界についてのまとまったイメージが提供されることになる。そこでは、明らかに元来の体験とは別の、現実全体を把握しようというなかば理論的ともいえる関心が働いており、それが時には神々を超え、また包括する唯一神とか最高原理の探求という形をとる。これは神観念の哲学化であるが、その傾向は西洋文明の伝統においてとりわけ顕著に認められる。
[仏教と神]
仏教は本来、上記のような神の体験から生まれた宗教とはいえない。けれどもそれが、南・東南・中央・東アジア世界へと伝播し、定着する過程で土着の多神教的な文化にふれ、さまざまな形で「習合」を遂げたのは、よく知られた事実である。まず発祥の地インドでは、かなり早い段階から、伝統的なヴェーダ宗教の神々をその教義体系に取り込み、それらを仏・菩薩に従属する「諸天」として位置づけた。しかしこれは、視点を変えれば、仏教そのものが多神教的な構造に順応し、その中に取り込まれた結果と言えなくもない。このことは中国に伝わった仏教にも当てはまる(ただし、漢語の「神=しん」は、祭祀の対象のほかにも人間の精神ないし意識をさす用例も多い)。仏教が中国文化とともに日本に導入された際にも、事態はまったく同じであった。日本古来の「カミ」は漢語の「神」によって表記される一方で、『日本書紀』の記事も示すように、仏は「蕃神」として受容された。ここに始まる「神仏習合」の成立には仏教をも含めて、宗教というシステムの展開の過程に働く独特の力学を認めることができるのである。
【参考】松村一男他「神の概念」(国学院大学日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、一九九五)、鈴木範久「『カミ』の訳語考」(『講座宗教学』四、東京大学出版会、一九七八)
【参照項目】➡宗教
【執筆者:田丸徳善】