選択集の刊本
提供: 新纂浄土宗大辞典
せんちゃくしゅうのかんぽん/選択集の刊本
印版刊行された『選択集』のこと。版木、木活、銅版、近代活字等様々で、藤堂祐範『選択集大観』には八四種に及ぶ諸本を紹介しているが、以後の刊行を含めればその数は一〇〇種を超える。最も古く『選択集』が刊行されたのは、建暦元年(一二一一)に作られた平基親の序を付し奥書も有ったとされる建暦版である。この本の刊行年が法然の生前か滅後かは諸説ある。しかし現存しておらず、刊行されたということを注釈書等で知るのみである。現存する最古のものとしては延応元年(一二三九)に開版された延応版(京都法然院蔵、東洋文庫蔵〔上巻のみ〕)である。本書の特徴は『選択集』を二冊に分けたことであり、以後、永享一一年(一四三九)版(新知恩院蔵)など、数回再版や再刻がなされている。また、一頁六行、一行一七文字の形態は時代の古い粘葉綴本の多くで用いられており、建長三年(一二五一)版(零本下冊一帖、西本願寺蔵)や康楽寺旧蔵本(大東急文庫蔵)、岩田淳慶旧蔵本(龍谷大学蔵)などは書体や僅かな文字の違いはあるものの同系統と言える。なお法然院蔵本には巻頭に平基親の序が書写されている。さらに延応元年の刊記を持つ版木が知恩院に現存している。次に延応版とは違う形態の版本として正中二年(一三二五)版(末巻のみ存、大東急文庫蔵)がある。本書は現存する末巻が第八章からとなっており、特異なものと言える。さらに江戸期になると、様々な『選択集』が刊行されるが、寛永年間(一六二四—一六四四)には一頁八行となり、寛永八年(一六三一)版より以降は外枠の線が引かれるようになる。また、一頁一二行で一行二二文字詰の寛文九年(一六六九)版や一頁九行の延宝二年(一六七四)版等、これまでとは違う形態の版本が刊行されるようになる。さらに寛文二年(一六六二)には科段を記したいわゆる科註本が作られ、貞享二年(一六八五)版では科段のみならず本文に註釈が記されたものも登場する。また元禄一三年(一七〇〇)には忍澂により『選択集』本文を良忠の『決疑鈔』と割会したものが刊行される。その他の形態としては、貞享元年(一六八四)には漢文体の本文に総ルビで読みを施したものや、寛文六年(一六六六)には読み下し語をひらがなで記した和字本『ひらがな選択集』(五冊本)が作られる。この和字系の刊本は後に延享元年(一七四四)二尊院開版本(東京最勝院蔵)や延享元年関通上人開版本(龍谷大学蔵)など、数種刊行され、特に関通のものは忍海の図を多数挿入しており、和字絵入本として幾度も再版されることとなる。また絵図としては正徳三年(一七一三)に『選択集十六章段画図』(高田敬輔筆)という全一六章の大意を絵図に表し一枚の紙面に記したものがある。また別の系統として元禄七年(一六九四)に真宗の恵空によって数版の不同を校合したものが刊行される。その校合された一種に建暦版が挙げられているが校合箇所は無く、恵空が見たのかも不明である。またこの校合という作業は『選択集』研究には必須となり、『選択集大観』には一五種もの『選択集』が校合されたものが掲載されており、さらに主に昭和期に浄土宗教師の『選択集』の教科書であった土川勧学宗学興隆会本(一九三三年刊行)でも七種の校合がなされている。この土川本の事実上の基となっているのが、元禄九年(一六九六)に義山によって開版されたものである。本書の特徴は長序の掲載と義山による校訂、さらにはそれらの経緯が奥書に記されていることであるが、聖典版『選択集』の底本となるなど、浄土宗においては最も多く用いられる『選択集』である。また、近代になると、『正蔵』や『浄全』といった仏教系全集のみならず、日本古典全集等にも納められ、それらは膨大な数となる。また近年、写真版による古抄本の刊行や、古抄本を元に校注した岩波文庫本(平成九年〔一九九七〕、大橋俊雄校注)等も刊行されるなど次々と新しい『選択集』の刊本が刊行され続けている。
【参考】藤堂祐範『選択集大観』(中外出版、一九二二)
【参照項目】➡選択集大観
【執筆者:兼岩和広】