「三障」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さんしょう/三障
三種の障りの意。1Ⓢāvaraṇa-trayaⓉsgrib pa gsum。聖道とその加行の善根を妨げる障りで、業障・煩悩障・異熟障からなる。異熟障は報障とも訳す。『俱舎論』業品によれば、業障は五無間業(害母、害父、害阿羅漢、破和合僧、悪心出仏身血)、煩悩障は恒に起こっている煩悩である数行の煩悩、異熟障は三悪趣全てと人趣の北俱盧洲、無想天のこと(『俱舎論』一七、正蔵二九・九二中~下)。『南本涅槃経』一〇では、三障の次第を、煩悩障・業障・報障とし、『俱舎論』の報障から人趣の北俱盧洲と無想天を除いて誹謗正法と一闡提を加える(正蔵一二・六七〇上)。2善導が『観経疏』散善義において指摘するもので、『観経』に説く九品のうち、下品下生の者が華の内に在るときの三種の障害のこと。仏および聖衆を見ることができないこと、正法を聞くことができないこと、歴事供養できないことの三を挙げる(聖典二・三一九/浄全二・六九下)。3その他にも智儼『華厳孔目章』三には、煩悩を体の部位に例えて、皮・肉・心の三、あるいは皮・膚・骨とするもの(正蔵四五・五七一下)、『大乗瑜伽金剛性海曼殊室利千臂千鉢大教王経』五には、三摩地教に出会うことができないとされる三重障で、我慢貢高・妬賢嫉能・多貪多欲の三があり(正蔵二〇・七四七下〜八上)、智顗『釈禅波羅蜜次第法門』四には修定の三障が説かれる。
【参照項目】➡業障
【執筆者:齊藤舜健】