「今岡達音」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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いまおかたっとん/今岡達音
明治四年(一八七一)—昭和一四年(一九三九)三月一九日。大蓮社道誉心阿虚通。宗学者。出雲国簸川郡江南村(島根県出雲市湖陵町)に今岡三吉郎の三男として生まれる。幼名裕次郞。明治一一年(一八七八)同郡布智村下古志(同市下古志町)阿弥陀寺松井霊天について得度し、松井義天と改名した。同一九年桑門秀我に師事して『三心私記』『選択集』を学んだ。その後、浄土宗学京都支校を経て浄土宗学本校に入学。同二五年一月松井達音と改名し、翌二六年七月増上寺において野上運海より宗戒両脈を相承。同三〇年七月高等正科を卒業し、高等専門科に進み勤息義城について『俱舎論』を学び、翌三一年高等専門科が京都百万遍知恩寺山内に移るとともに京都に移った。同三二年七月に専門科を卒業し、同年九月に名古屋第四教校の教授となり、その後、東京第一教校、熊本第八教校、浄土宗高等学院教授に転じた。同四四年宗教大学講師、大正四年(一九一五)宗教大学教授となり、同一五年大正大学が設立されるに際して大正大学教授に任命された。明治四〇年(一九〇七)一二月に千葉県東葛飾郡湊村(現・市川市湊)善照寺の住職となった。大正八年(一九一九)権僧正、翌年已講に叙せられ、宗門および学界のため『浄土宗全書』刊行にも多大の事績をのこした。著書に『俱舎論綱要』(一九〇六年四月刊)、『法然上人御伝抄』(一九一一年三月刊)、『善導大師絵詞伝』(一九二七年一〇月刊)、『親鸞聖人批判』(一九三〇年三月刊)がある。昭和八年(一九三三)一二月の還暦を記念し、その前月に『今岡教授還暦記念論文集』が発行されている。
【参照項目】➡今岡教授還暦記念論文集
【執筆者:今岡達雄】