阿弥陀経
提供: 新纂浄土宗大辞典
目次
あみだきょう/阿弥陀経
一巻。『無量寿経』を「大経」と称するのに対し「小経」とも称される。ⓈSukhāvatī-vyūhaⓉ’phags pa bde ba can gyi pkod pa zhes bya ba theg pa chen po’i mdo。後秦(姚秦)の鳩摩羅什訳。盛唐における智昇『開元録』四(正蔵五五・五一二下)等によれば弘始四年(四〇二)の訳出。『無量寿経』『観経』とともに法然が定めた「浄土三部経」、すなわち浄土宗における所依の経典の一つ。西方極楽浄土における阿弥陀仏の実在とその浄土の荘厳、往生の方法、阿弥陀仏に対する諸仏の称讃などを説く。
[本経の名称]
『開元録』一四によれば本経に関して「二存一闕」(正蔵五五・六二九下)とされる漢訳経典があるという。すなわち当該の鳩摩羅什訳のほか、唐の玄奘訳『称讃浄土仏摂受経』があり、さらに欠訳(散逸したもの)として劉宋の求那跋陀羅訳『小無量寿経』があったとされる。本経に阿弥陀経以外の名称があったことは、例えば前出『開元録』四に「また無量寿経と名づく」との記述があることから周知される。とはいえ前出の巻一四では、欠訳とされた『小無量寿経』に「一名阿弥陀経或いは小の字無し」との付記があるほか、梁の僧祐『出三蔵記集』三、また隋代の『法経録』一や費長房『歴代三宝紀』八、さらには唐代の道宣『大唐内典録』三や『大周刊定衆経目録』三においては、本経はむしろ〈無量寿経〉と称され、『阿弥陀経』という名称は別称と見なされているという。また曇鸞や道綽も本経を〈無量寿経〉などといった名称で認識しており、『阿弥陀経』という名称で用いられたのは善導のころであるとされる。ちなみに梵文においては『無量寿経』と『阿弥陀経』の経題は同じである。本経には漢訳のほかにチベット訳がある。梵文写本は日本に伝承され流布した悉曇本以外にはいまだ発見に至っていない。悉曇本は江戸期に複数が開版され、またそれらをもとに、近代に至ってデーヴァナーガリー文字あるいはローマ字表記による梵文刊本が種々に刊行されている。
[本経の異文と善導・法然]
羅什訳としての本経は、写本として敦煌本に一八〇点、トルファン本に二五点を数え、それらのうちには唐の長寿三年(六九四)ほか、開元一六年(七二八)などといった紀年を有するものがある。無紀年のものも七世紀から九世紀にかけてのものが大半と推定され、また本経の書写が盛んであったことがうかがえる跋文もある。本経は中央アジア方面において非常に多く流布していたと見られている。『続高僧伝』二七によれば善導は「弥陀経を写すこと数万巻」(正蔵五〇・六八四上)とされ、本経の流布に大きく寄与したと評されている。本経には、いわゆる流布本と大蔵経本との間に異文のあることが知られている。すなわち流布本における「聞是諸仏所説名及経名者」(聖典一・二〇七/浄全一・五五)と大蔵経本における「聞是経受持者及聞諸仏名者」(正蔵一二・三四八上)との経文の相異がそれである。この相異は梵本における文法解釈の相異が遠因になっているように考えられるが、敦煌本であれトルファン本であれ、写本上は双方が並行して流布していたと推定されている。ただし流布本の系統のものが圧倒的に多いという。本経を数多く書写した善導は本経を読誦転経し浄土往生を願う宗教儀礼として『法事讃』を著したが、その際に用いられたものが現行流布本とほぼ同じものである。なお法然は『選択集』一三において、本経の一節「一心不乱」以下に、流布本・大蔵経本には見られない二一文字から成る一文があるという襄陽石刻阿弥陀経に着目した。すなわち「専持名号以称名故諸罪消滅即是多善根福徳因縁」(聖典三・七八/昭法全三四四)の一文について、これを往生行としての称名念仏が、少善根である他の行に対して多善根であることの典拠と定めた。
[本経の注釈書と本経の構成]
本経の主な注釈書としては伝智顗『阿弥陀経義記』、基の著とされる『阿弥陀経疏』、同じく『阿弥陀経通賛疏』、智円『阿弥陀経疏』、元照『阿弥陀経義疏』、戒度『阿弥陀経義疏聞持記』、元暁『阿弥陀経疏』などが挙げられるが、浄土宗としてもっとも用いるべきは善導の『法事讃』である。釈書としては伝智顗『阿弥陀経義記』に依って源信が『阿弥陀経略記』を著し、これを承けた法然も『阿弥陀経釈』を著している。さらに聖聡『阿弥陀経直談要註記』、義山『阿弥陀経随聞講録』、観徹『阿弥陀経合讃』などが重要な釈書とされる。本経は他のおおかたの経典と同様、「序分」「正宗分」「流通分」から構成される。序分は「如是我聞」以下、正宗分は「爾時仏告長老舎利弗」以下、流通分は「仏説此経已」以下に配される。それぞれ経文の段落を細分化した解釈が施されるが、このうち正宗分について言えば、大きく二段に分けられる。すなわち「無量無辺阿僧祇劫説」までの「極楽依正」と、「舎利弗衆生聞者」以降「是為甚難」までの「念仏往生」である。前者は極楽国土の依正二報の荘厳を説示し、後者は念仏往生と諸仏の証誠を明かし、衆生に極楽往生を勧進するものである。
[本経のあらすじ]
本経は、釈尊が舎衛国祇樹給孤独園において何度も舎利弗に呼びかけながら説示する。まずは西方十万億土の彼方に極楽の世界があって、そこに阿弥陀仏が実在し説法を施していると明かす。次いで、極楽が極楽たる所以である、もろもろの苦しみがなく、ありとあらゆる幸福感に満ちた様相や、無量光・無量寿たる阿弥陀仏の所以、さらには極楽に生じた者の証果を示して極楽往生を願うよう勧め、少善根によっては生まれ難い極楽への往生には、名号の執持によってこそ命終に阿弥陀仏をはじめとする聖衆の来迎があるとして、阿弥陀仏に関するこうした称説を聞く者は極楽へ往生すべきであると教示する。さらに釈尊同様、六方の諸仏が阿弥陀仏の不可思議功徳を称讃し、この経を信ずべきことを広長の舌相を出して証誠し、加えて諸仏は諸仏が説く仏名と経名を聞く者を護念すると説く。そして諸仏と釈尊は互いの不可思議功徳を称讃し、諸仏は釈尊がこの五濁の世にこうした難信の法を説いたことを称讃し、釈尊自身もそれが「甚難」なことであったと述べてこの経を説き終える。すると、舎利弗をはじめとする聴衆は法悦にひたりながらその場を去り、本経が終わりとなる。
[善導および法然による評価]
本経について善導『法事讃』は「世尊の説法時まさに了りなんとす、慇懃に弥陀の名を付属す」(浄全四・二五下)と明かし、また法然は『阿弥陀経釈』において「今、此の経、諸行往生を廃す、復次に但念仏往生を明かす、念仏行に於いて、決定心を生ずる為なり」(昭法全一三三)と見定め、「教主釈迦如来、念仏往生の法門を説き了りて、正に但念仏往生の法を以て、慇懃に付属舎利弗等に付属す」(昭法全一四三)と論じているように、往生行としてはもはや諸行を説示することなく、口称による念仏往生の法を舎利弗等に授けた経典と位置付けることができよう。
[本経に関する研究]
本経の原典の成立に関して藤田宏達は、〈無量寿経〉とほぼ同じころ、それとはやや異なった視点から編纂されたもの、具体的には〈無量寿経〉の編纂者グループとは異なったグループによって編纂されたもの、という程度にとどめざるを得ないと論じている。本経の一文と『無量寿経』「光明歎徳章」に含まれる一文とがパラレルな対応関係にあって比較対照が可能であるとの指摘がなされているが、原典を含めた本経の成立過程の研究には論究すべき課題が多い。
【所収】聖典一、浄全一、正蔵一二
【資料】『阿弥陀経釈』
【参考】藤田宏達『浄土三部経の研究』(岩波書店、二〇〇七)、深貝慈孝「浄土三部経解題」(『浄土宗聖典』一、浄土宗、一九九四)、袖山榮輝『全注全訳阿弥陀経事典』(鈴木出版、二〇〇八)、同「『無量寿経』光明歎徳章と『阿弥陀経』—いわゆる〈称讃〉と〈聞説阿弥陀仏〉をめぐって—」(『仏教文化研究』五三、二〇〇九)、同「『阿弥陀経』における〈説〉の用例について」(『三康文化研究所年報』四一、二〇一〇)
【参照項目】➡称讃浄土仏摂受経、引声阿弥陀経、襄陽石刻阿弥陀経
【執筆者:袖山榮輝】