操作

梵琦

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぼんき/梵琦

元・元貞二年(一二九六)—明・洪武三年(一三七〇)。あざなは楚石、小字は曇曜。中国明代の禅僧、また浄土教者。浙江省象山生まれ。九歳で天寧永祚禅寺で出家、一六歳で杭州昭慶寺で具足戒を授けられた。至正一七年(一三五七)八月報恩光孝寺の住職を担い、同一九年天寧永祚禅寺に隠居し、寺の西側に居を建てて、そこで浄土念仏専修し、自ら「西斎老人」と号した。同二三年に再び永祚禅寺の住職を招請され、後に住職を他人に譲り西斎にて専ら浄土専修した。洪武三年七五歳のとき、臨終が近づいていることを予知し、一偈を書して、命終したという。浄土教の代表的な著作としては『西斎浄土詩』三巻があり、後世中国浄土教にも影響を与えた。他に『楚石梵琦語録』二〇巻、『上生偈』、『北遊鳳山西斎』三集、『和天台三聖詩』などがある。


【参考】震華『中国仏教人名大辞典』(上海辞書出版社、一九九九)、『仏光大辞典』(仏光出版社、一九八八)、望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九四二)、聖厳「明末中国的浄土人物及其思想」(『華岡仏学学報』、一九八五)


【参照項目】➡西斎浄土詩


【執筆者:肖越】