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具足戒

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぐそくかい/具足戒

正式な比丘比丘尼になるための条件をすべて満たしていること。あるいはそれを証明するための儀式。ⓈⓅupasaṃpadā。受具足戒・受具・進具・近円ごんえんなどとも訳される。具足戒を文字通りに解釈すれば「戒を具足すること」となるが、翻訳語のもととなるウパサンパダーの意味は「すべてを備えること」であり、本来は比丘比丘尼として正式に教団の一員として認められるための条件を備えていることを意味していた。ところが、中国で比丘・比丘尼の守るべき規則を戒と表現するようになったことから、比丘・比丘尼となるための条件さえも戒として理解されるようになり、「具足戒」や「受具足戒」という表現が用いられるようになったと考えられる。しかし、教団法としての律と、個人の道徳規範としての戒とを区別する限り、ウパサンパダーに戒を具えるという意味は存在しない。したがって、律に基づいて教団運営がなされていた仏教教団におけるウパサンパダーと、中国への伝播以降における「具足戒」の間には、理解に異なりがあることに留意しなければならない。七世紀末にインドを訪れ、律蔵梵本を将来して『根本説一切有部毘奈耶』を翻訳した義浄は、この点を踏まえ、ウパサンパダーを「近円」と翻訳した。戒との関わりを排除している点で、義浄の理解はインド仏教の実態に忠実であったと言える。一方、中国からもたらされた日本の仏教においては、『四分律』が根幹に据えられたため、具足戒の表現が踏襲され、伝統的に比丘の学処を「戒」と理解し、それらをすべて具えることが具足戒にあたるという立場をとることになる。さらに、それを土台として、大乗戒円頓戒の理解も成立している点に留意する必要がある。律には、比丘比丘尼になるための手続き(作法)を示す部分が含まれているが、そこには比丘比丘尼になることができない条件が説かれている。条件の数や種類については、律典によって異なりを見せるものの、伝統的に「十三難十遮じゅうさんなんじっしゃ」等と呼ばれるように、二十数種の条件が掲げられている。「二〇歳以上であること」や「父母を殺していないこと」など、律蔵に掲げられている条件をすべて整えて、はじめて沙弥や式叉摩那しきしゃまなといった見習いから、比丘・比丘尼という正式な教団構成員になることができる。


【参考】平川彰『律蔵の研究』(山喜房仏書林、一九六〇)、土橋秀高『戒律の研究』(永田文昌堂、一九八〇)、佐々木閑『出家とはなにか』(大蔵出版、一九九九)


【参照項目】➡円頓戒


【執筆者:山極伸之】