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日課数珠

提供: 新纂浄土宗大辞典

にっかじゅず/日課数珠

日課念仏を称えるために考案された浄土宗特有の数珠輪貫わぬき数珠・貫輪数珠・輪数珠・二連数珠ともいう。元々は法然弟子である阿波介の次のような故事による。「二念珠をしいしたるは、この阿波介にてなん侍るなる。彼の阿波介、百八の念珠を二連持ちて念仏しけるに、そのゆえを人尋ねければ、弟子暇無く上下すれば、その疲れ易し。一連にては念仏を申し、一連にては数を取りて、積もるところの数を弟子に取れば、緒やすまりて、疲れざるなりと申しければ、上人聞き給いて、何ごとも我が心に染みぬることには、才覚が出で来るなり。阿波介、極めて性鈍に、その心愚かなれども、往生の一大事心に染みぬるゆえに、かかることをも案じ出でけるなり。真にこれ巧みなりとぞめ仰せられける」(『四十八巻伝』一九、聖典六・二四〇)。その後、一心院称念が自行のために三六顆と三〇顆の貫輪数珠(二連数珠)を考案した(『称念上人行状記』上、浄全一七・六二九下)。また鹿ししたに忍澂が五四顆と二〇顆も考案したことを伝えている(『獅谷白蓮社忍澂和尚行業記』上、浄全一八・二七上)。そして称念忍澂が用いた数珠を多くの人々が倣って持つようになり、自らの日々の念仏に励んだ。これらの数珠は明治時代までは用いられており、現在の二七顆二〇顆、二七顆四〇顆の数珠はその後に考案されたものである。またその他に一〇八顆の日課数珠関通が考案したとされる七一顆の日課数珠などがある。直綴じきとつ道衣のときに用いる。


【参照項目】➡数珠輪貫数珠


【執筆者:大澤亮我】