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山口講学場

提供: 新纂浄土宗大辞典

やまぐちこうがくじょう/山口講学場

明治初期に檀林以外で初めて伝法が行われた場所。幕末維新の混乱期、長門・周防両国の寺院所属者は関東檀林での伝法修学が困難となった。このため両国寺院総代の萩報恩寺無関阿弥陀寺篤信が明治二年(一八六九)三月、山口において伝法道場を開設するよう知恩院に依頼したことに端を発している。同年一〇月、無関伝法権をもつ増上寺録所に道場の開設と伝灯師の派遣を要請した。これに対して増上寺明賢は講学場開設に必要な書籍と資金を提供、そして同三年五月二日に山口善生寺常念仏堂を会場として講学場が開設された。半年後の一一月には増上寺伝灯師として岩槻浄国寺養鸕うがい徹定てつじょうを、さらに随行として増上寺学頭山下現有・同寺寮生岸上恢嶺きしがみかいれいを派遣し、受者二四名に伝法がなされた。以後同七年一一月までに五回の伝法が行われた。短期間の開講ではあったが、伝法史上、檀林以外で伝法がなされた意義は大きい。


【参考】野田秀雄『明治浄土宗史の研究』(四恩社、二〇〇三)、大正大学五十年史編纂委員会『大正大学五十年略史』(同委員会、一九七六)


【参照項目】➡明賢


【執筆者:𠮷水成正】