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寒念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

かんねんぶつ/寒念仏

一年でもっとも寒さの厳しい小寒から立春の前日までの三〇日間にわたり鉦をたたきながら声高く念仏を称え、仏堂・山内・墓地・街頭などを巡回し報恩感謝を表する念仏念仏者の寒行ともいえる。江戸後期に著された鈴木牧之の『北越雪譜』には、「江戸に寒念仏とて寒行をする道心者あり、寒三十日を限りて毎夜鈴が森千住にいたり刑死の回向をなす。…雪をふみて毎夜寒念仏又は寒大神まいりとて、寒中一七日或いは三七日、心々に日をかぎりておのれが志す神仏へもうず」と当時の寒念仏が記されている。また、江戸中期頃より大津絵の「鬼の寒念仏」が護符としての人気を博したとされる。現在では、栃木県那須郡那須町の半俵はんびょう地区に念仏踊り「半俵寒念仏」が伝えられており、県無形民俗文化財に指定されている。そこでは、源義経や弁慶を模した様相の太鼓打ちなどの踊り手が竹笛の伴奏に合わせて舞い、両者の供養を行うとともに五穀豊穣を祈願する。寒の入りと夏の土用の入りの年二回、踊りが奉納されている。


【資料】鈴木牧之『北越雪譜』


【参考】佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究 資料編』(隆文館、一九六六)


【参照項目】➡寒行


【執筆者:江島尚俊】


寒の入りに先亡の精霊供養するために称える念仏。茨城県行方なめがた市では太鼓や鉦を用いて各地区の墓地入り口で念仏を称え、新仏のある家が重箱でのご馳走を供え供養していた。現在ではほとんど行われなくなった。


【参考】佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究 資料編』(隆文館、一九六六)


【執筆者:江島尚俊】