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前念・後念

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぜんねん・ごねん/前念・後念

ある事象を基点とし、その前後の時、そして、その因果をさす。この場合の念は実践行ではなく、時間を意味するもの。曇鸞は『往生論註』上において「いかなる義に依りてか往生を説くや」という問いに対し「この間の仮名の人の中において、五念門を修するに前念は後念のために因となる。穢土の仮名の人と浄土の仮名の人と、決定して一なることを得ず、決定して異なることを得ず。前心後心も亦復た是の如し」(浄全一・二二一下)と述べ、前念・後念の連続性と共にその因果関係を示唆している。また、道綽の『安楽集』においても同意の説示が見られる(浄全一・六八九上~下)。善導は『往生礼讃』前序において「仰ぎ願わくは一切の往生の人等、よく自ら思量せよ。すでによく今身に彼の国に生ぜんと願ぜん者は、行住坐臥に必ずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形にありては少苦に似たれども、前念に命終して、後念にすなわち彼の国に生ず」(浄全四・三五七上)と述べ、より具体的に往生の過程を示し、念仏を相続して命終を迎えることを前念とし、即得往生を後念としている。さらに『醍醐本』「三心料簡および御法語」の「一、前念命終後念即生事」には「前念後念とは、ここに命尽きて後に生を受くる時分なり。行の念にはあらず、往生称名なり。称名正覚の業なり。然れば則ち称名して命終するは、正定の中にして終わる者なり」(昭法全四五二)と説示され、あくまで往生の因は称名念仏であり、この世での命を終える瞬間を前念、後の世に生を受けるその瞬間を後念としている。つまり、前念・後念とは臨終を基点とした前後の時間を示すものである。


【参考】髙橋弘次『改版増補 法然浄土教の諸問題』(山喜房仏書林、一九九四)、藤本淨彦『法然浄土教の宗教思想』(平楽寺書店、二〇〇三)


【参照項目】➡前念命終後念即生


【執筆者:鷹觜観道】