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信楽院

提供: 新纂浄土宗大辞典

しんぎょういん/信楽院

滋賀県蒲生郡日野町村井。仏智山大松寺。滋賀教区№七七。蒲生がもう家の菩提寺。寺伝によると、貞和五年(一三四九)蒲生高秀が信楽庄牧村の紫香楽寺から古仏を乞い受け、小御門城の馬場に小堂を建て安置したのが起源で、文明六年(一四七四、一説には一〇年)蒲生貞秀が音羽城内に移転させ、金勝こんぜ阿弥陀寺宗真を中興開山に迎えたという。一六世紀前半の蒲生定秀による中野城の築城に伴い城内に移転したが、天正一二年(一五八四)に蒲生氏郷が伊勢、のち会津へと転封されたことにより荒廃。これを憂えた池内源智らが慶長元年(一五九六)会津の蒲生秀行に再興を陳情、長束正家の許可を得て現在地に移築され、知恩院の預寺となった。本堂天井の雲竜・八大竜王・韋駄天図は江戸時代の絵師高田敬輔けいほの代表作。


【資料】『蓮門精舎旧詞』四五、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)


【参考】『近江蒲生郡志』七(弘文堂書店、一九七二)、『近江日野町志』下(臨川書店、一九七二)、『近江日野の歴史』五(滋賀県日野町、二〇〇七)


【執筆者:曽田俊弘】