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三経一論

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんぎょういちろん/三経一論

浄土宗において正しい拠り所とする経論の総称。三経とは、曹魏・康僧鎧訳『仏説無量寿経』二巻、劉宋・畺良耶舎きょうりょうやしゃ訳『仏説観無量寿経』一巻、姚秦・鳩摩羅什訳『仏説阿弥陀経』一巻、一論とは世親造『往生論』一巻のこと。法然は『選択集』一の私釈において、往生浄土門には「正に往生浄土を明かすの教」と「傍に往生浄土を明かすの教」があると大別し、前者のまさしく往生浄土を説き明かす教えとはこの三経一論であると述べる。また「今はただこれ弥陀の三部なり。故に浄土三部経と名づく。弥陀の三部とはこれ浄土正依の経なり」(聖典三・一〇一/昭法全三一二)ともあることから、この三経を「浄土三部経」とも呼称する。そして『同』一六においては「およそ三経の意を案ずるに、諸行の中に念仏選択して以て旨帰と為す」(同一八三/同三四七)と結論付けている。その一方で法然は『往生論』の内容については、ほとんど言及していない。また『阿弥陀経釈』でも、「浄土三部経」を所依の経と位置付け、その証に六文を挙げるが、中でも第二証の智顗十疑論』第四疑に「無量寿経観経往生論等の如し」と列記されているのを受け、「学者行者三経一論を学ぶべし」(昭法全一三〇)と説いている。同じく『逆修説法一七いちしち日でも「浄土三部経」に言及し、『鼓音声経』を加えて四部経とする説にも触れている(昭法全二三六)。良忠は「正明」と「傍明」の説明において、『往生要集詮要』に見られる因明直弁いんみょうじきべんの義を応用し、往生浄土について説くことを直接的な目的としているのが前者で、他の目的に関連して往生浄土にも触れているのが後者であると説明している(『決疑鈔浄全七・二〇三上)。なお聖冏は「法華の三部」や「大日の三部」においても、それぞれ三経一論があると説明している(『直牒じきてつ浄全七・四八六上)。


【参照項目】➡浄土三部経


【執筆者:齋藤蒙光】