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Z1540 念仏無上醍醐編 諦忍 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
Z15_0160A01: 略念誦經には。三時四時行法の餘暇には。行人常セヨ
Z15_0160A02: 觀音三昧(トケ)り。是亦行者卽ち觀音なるの義なり。
Z15_0160A03: 孟子にいかなる人も孺子の井に入んとするを見ては
Z15_0160A04: 必ず惻隱の心あり。これ仁の端也と云へり。此仁則
Z15_0160A05: ち人人個個自性本具の觀音なり。儒家にては仁と云ひ。佛家にてば大悲と云。
Z15_0160A06: 普門品に衆生若し苦難に遇とき觀音の名號を唱れ
Z15_0160A07: ば。卽時に解脫すと說るも。實には一切衆生卽ち觀音
Z15_0160A08: なるが故に。その感應速なるなり。彌陀の乃至一念の
Z15_0160A09: 者をも救ひ給ふも。其實には一切衆生則ち彌陀觀音
Z15_0160A10: なるが故に。其感應速なるなり。理趣釋外金剛會品
Z15_0160A11: 曰。一切有情不妙觀察智性。是故如來說一切有
Z15_0160A12: 情妙法藏。妙法藏トハ者觀自在菩薩[なり]也。已上此妙觀察智
Z15_0160A13: は正しく是彌陀の德用なり。一切衆生皆是を具する
Z15_0160A14: と說は。一切衆生卽ち彌陀なるに非ずや。觀經に若
Z15_0160A15: 念佛スルモノハ者是人中芬荼利華なりと說給ふも。念佛す
Z15_0160A16: る者。則ち彌陀觀音なるの義なり。芬陀利華は彌陀
Z15_0160A17: 觀音の三昧耶形なればなり。熊谷蓮生を呼で坂東の
Z15_0160B01: 阿彌陀佛と云ひしも此義ゆへなり。伊豫の法界寺の
Z15_0160B02: 老尼念佛して佛身と現じ。法燈國師石上に坐して觀
Z15_0160B03: 音の形と成り給へるも。此義ゆへなり。是等の實義
Z15_0160B04: を以ての故に。臨終の時觀音必ず蓮華臺を持し來て
Z15_0160B05: 我等に與へ給へり。此蓮華臺。元來他物に非ず。我
Z15_0160B06: 等が念佛を種として。七寶池中に生ぜる者にして。
Z15_0160B07: 又我等が胸中に在る八瓣の肉團と。無二無別なり。
Z15_0160B08: 此八瓣の肉團とは先に所謂る一切有情妙法藏の事に
Z15_0160B09: して。又是先に謂所の觀音八葉曼荼羅なり。觀音則
Z15_0160B10: ち彌陀妙觀察智の本主なり。密家所談の彌陀觀音同
Z15_0160B11: 體の深義玆の如し。止止(ヤミナン)(〳〵)ニ[シテ]思。
Z15_0160B12:    觀音授記經祕釋
Z15_0160B13: 觀音授記經に。當來不可計劫に彌陀佛𣵀槃に入給ふ
Z15_0160B14: べし。其後唯觀音勢至のみありて。極樂に住持して。
Z15_0160B15: 十方衆生を接引すと說り。是に就て古來寶性論の報
Z15_0160B16: 身。休息隱沒の相を現ずる說を引て會通すと云へど
Z15_0160B17: も。未だ痛快ならず。所以者何となれば。彌陀は旣

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