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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0696A01: 月廿五日發布の規則により定められたり。次で同年
J20_0696A02: 七月第一回を京都知恩院に。同八月第二回を東京增
J20_0696A03: 上寺に開き。第三囘を四十二年七月筑後善導寺に。第
J20_0696A04: 四回を同八月東京第一敎區宗學校内に開き。第五回
J20_0696A05: を四十三年七月大阪に。第六回を同月東京芝中學校
J20_0696A06: 内に開き。第七回を四十四年八月名古屋光明寺に開
J20_0696A07: きしが。同年七月敎學院の決議により敎學講習會と
J20_0696A08: 改稱し。前には單に學階所有者を正會員としたるに
J20_0696A09: 對し。敎階所有者を加へ且懸席料壹圓づづを會員よ
J20_0696A10: り徴收するを變革とす。然れども懸席料は大正二年
J20_0696A11: 三月の宗會に異論ありて之を止め其費用を豫算に計
J20_0696A12: 上せり。
J20_0696A13: 宗學講習會 高等講習會が一宗の大講習會になる
J20_0696A14: に對し。地方小敎區等に開かるる小講習會を云ふ。
J20_0696A15: 其規則は四十一年五月廿五日。高等講習の其と同時
J20_0696A16: に發布せられ。其會期は十日間にして。會員は地方
J20_0696A17: 寺院住職者或は宗侶也。
J20_0696B18: 第三章 布 敎
J20_0696B19:
J20_0696B20: 前期の本宗は德川氏の菩提所香花院が高等寺院の
J20_0696B21: 大部を占めしが故に。德川氏の靈位の葬式法事を主
J20_0696B22: なる仕事としたるは言ふ迄もなし。其他の寺院に於
J20_0696B23: ても多くは檀那の葬式法事の外殆んど用務なかりし
J20_0696B24: なり。然れども維新の變革泰西文明の壓迫はかかる
J20_0696B25: 宗旨の存在を許さざるを以て。敎育と共に布敎の方
J20_0696B26: 面にも注意を拂ふに至り。明治廿年の宗制には敎會
J20_0696B27: の一章を設け。檀信徒を以て其一員となし。各寺院説
J20_0696B28: 敎所を小敎會。寺院若干の集を中敎會。中敎會若干
J20_0696B29: を集めたるものを大敎會とし。宗務所は之を統ぶる
J20_0696B30: 所にして。管長は淨土一大敎會の統御者なりとし。
J20_0696B31: 全く檀信徒を本位としたるなり。
J20_0696B32: 然れども實際に於ては二十年前後は尚德川時代と
J20_0696B33: 異なることなかりしのみならず。僧侶の保守と社會の
J20_0696B34: 進步とより來る知識上の差異徑庭は。却て從前の信

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