浄土宗全書を検索する
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| 巻_頁段行 | 本文 |
|---|---|
| J20_0697A01: | 仰を冷却失墜しつつありしなり。勿論少數の先覺者 |
| J20_0697A02: | ありて説敎に演説に於て時世に後れざらんことに努力 |
| J20_0697A03: | 指導をなしたりと雖も。大多數は呆然自失の狀態に |
| J20_0697A04: | ありし也。廿年一宗の秩序成立し。學校を設けて敎 |
| J20_0697A05: | 育に力を用ひ。又布敎會等起りて布敎法を敎授した |
| J20_0697A06: | るにより。漸次堪能なる布敎師を輩出し。漸次敎田 |
| J20_0697A07: | の耕耘に力を盡すに至り。殊に宗祖七百年の遠忌に |
| J20_0697A08: | 先ち。記念傳道隊の組織せられ。布敎的機運を昻進 |
| J20_0697A09: | せしが。遠忌經過と共に稍沈滯の觀なくんばあらず。 |
| J20_0697A10: | 海外布敎には。明治二十六年有志相集り布哇宣敎 |
| J20_0697A11: | 會を設け有志より寄附金を募集し。二十七年三月十 |
| J20_0697A12: | 六日松尾諦定先づ渡航し。次で同年五月四日岡部學 |
| J20_0697A13: | 應も渡航し布敎に從事す。是本宗最初の布哇布敎者 |
| J20_0697A14: | にして。從て又海外布敎の嚆矢なり。松尾はホノル |
| J20_0697A15: | ルに。岡部はハマクワに根據を定め。明治廿九年十一 |
| J20_0697A16: | 月に至り岡部は同所に布敎場を創立せり。 |
| J20_0697A17: | 明治廿九年六月仲谷德念。武田興仁臺灣に赴き。 |
| J20_0697B18: | 布敎に從事す。是れ本宗臺灣開敎の嚆矢なり。臺灣 |
| J20_0697B19: | 傳道援護會之が後援をなせり。然に翌三十年六月十 |
| J20_0697B20: | 九日武田興仁マラリヤ熱の爲に先づ倒れ。次で三十 |
| J20_0697B21: | 一年五月三十一日仲谷德念又ベストの爲に寂したる |
| J20_0697B22: | も。此二殉敎者の熱心に感じ。嶂癘の氣を冐して同 |
| J20_0697B23: | 地に布敎するもの踵を接するに至れり。 |
| J20_0697B24: | 朝鮮は明治三十年六月十二日。三隅田持門の渡航 |
| J20_0697B25: | により開敎の端を發せしが。七月十三日白石堯海、 |
| J20_0697B26: | 岩井智海宗命を帶びて臺灣及朝鮮を視察し。其報告 |
| J20_0697B27: | に基づき。從來個人或は有志事業たりし海外開敎が。 |
| J20_0697B28: | 三十一年五月第二臨時宗會には。開敎費に四千圓。 |
| J20_0697B29: | 韓國開敎費に二千圓。布哇開敎費に六百圓を支出し。 |
| J20_0697B30: | 一宗の事業となるに至れり。かくて宗務よりして布 |
| J20_0697B31: | 敎使を任命派遣し。便宜の地方に布敎場を設置布敎 |
| J20_0697B32: | せしめしが。日露戰役後滿洲樺太淸國天津にも布敎 |
| J20_0697B33: | 使を送り敎會場を建設せしが。天津の外孰れも漸次 |
| J20_0697B34: | 擴張して諸宗と伍して敢て遜色なき狀態なり。 |