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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0685A01: 第四期 改新時代
J20_0685A02:
J20_0685A03: 第壹章 一般制度の變遷
J20_0685A04:
J20_0685A05: 慶應三年十二月知恩院宮尊秀法親王復飾し給ひ。
J20_0685A06: 明治維新と共に錄所の權限消失し。此に本宗は門主
J20_0685A07: 宗務所を併せ喪ひ。頭腦なく肢體なき無形體無組織
J20_0685A08: の狀態に陷りしも。幾ならず知恩院門跡を立て一宗
J20_0685A09: の事務所とし。知恩院大僧正學天を總裁に東漸寺豐
J20_0685A10: 舟を院家兼宗務取締に任ぜられ。稍一宗主權の所在
J20_0685A11: 定れるが如きも。萬事更革の際のこととて擾擾として
J20_0685A12: 歸一する所なし。
J20_0685A13: 明治五年四月敎導職の制定まり。神官僧侶の之に
J20_0685A14: 任ぜらるるや。本宗に於ては知恩院俊光權少敎正
J20_0685A15: に。增上寺明賢大講義に補せらる。次で同年七月十
J20_0685A16: 一日俊光大敎正に補せられ。縁山歡苗寮にありて一
J20_0685A17: 宗の敎務を處辨せしが。神佛各宗に管長の置かるる
J20_0685B18: や。同年十月十九日傳通院徹定本宗管長に補せら
J20_0685B19: る。かくて一宗の主權は知恩院或は傳通院に移りた
J20_0685B20: るも。宗務所は依然縁山内に在りしなり。
J20_0685B21: 明治七年九月。檀林本山協議して傳法の特權を京
J20_0685B22: 都四箇本山に割讓すると同時に。遠江以東の寺院を
J20_0685B23: 都て增上寺の所轄とし。且增上寺を以て大本山と稱
J20_0685B24: することを約し。翌年一月十八日敎部省の認可をえた
J20_0685B25: り。是本宗制度の一大變革なり。是より先明治二年
J20_0685B26: 十月防長の國外出遊を禁ずることあるや。同地方寺院
J20_0685B27: 惣代報恩寺無關は錄所に傳燈師の派遣を請求せり。
J20_0685B28: 錄所も最初は種種口實を設けて之を拒みしも。無關
J20_0685B29: の強談に餘儀なくせられて之を許可し。翌年十一月
J20_0685B30: 山口に傳法道場を開き。大僧正明賢は淨國寺徹定を
J20_0685B31: して赴き代授せしめ。受者廿四名ありしと云ふ。是
J20_0685B32: 既に三百年來の舊慣を破りて。十八檀林以外に於て
J20_0685B33: 傳法を行ふの端を啓きしものなるも。地方制度に餘
J20_0685B34: 儀なくせられし一時の權宜に出で。且つ其傳燈師は

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