ウィンドウを閉じる

J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0679A01: 同十三年寺内に松聲院を營みて隱遁し。天保四年十
J20_0679A02: 月十三日松聲院に寂す。其講義の多きに似ず淨業蓮
J20_0679A03: 社小制規一卷を除きては著述の傳へらるるなし。攝
J20_0679A04: 門は本山幹事と成りし以來財利を愛し。一期空しく
J20_0679A05: 消光したる結果なりと評せるもいかにや。
J20_0679A06: 立道一七五五 一八三六字は慧玄得譽と號す。京都の人な
J20_0679A07: り。幼にして聖光寺良瑞に投じて出家す。適學信來寓
J20_0679A08: するありて之に親炙す。志學の後東遊して縁山に留
J20_0679A09: 錫すること八年なりしが。其間豐譽靈應に兩脉を禀承
J20_0679A10: し普寂に就き敎乘を講習し。西歸の後河内往生院に
J20_0679A11: 住し幾ならずして嵯峨正定院に轉ず。天明三年二十
J20_0679A12: 九歳の時なり。爾後五十餘年。嵯峨に隱遁して世塵に
J20_0679A13: 交らず。故に當時嵯峨隱居の名天下に囂しかりしと
J20_0679A14: 云ふ。平生聞證。湛慧の爲人を慕ふ。故に其學も唯識
J20_0679A15: 華嚴起信等に精通せり。宗部の内には最も徹選擇に
J20_0679A16: 思を覃め。其私言の如き一家の見識を見るべし。著す
J20_0679A17: 所の疏鈔二十四部ありと傳へらるるも多く世に流布
J20_0679B18: せず。
J20_0679B19: 伊勢の地。曼陀羅の研究者を輩出せり。即曼陀羅
J20_0679B20: 寺演智一六三四 一七一二は椚象十四卷を著す。觀正庵一道は
J20_0679B21: 搜玄八卷を作り。阿彌陀寺大順一七一一 一七七九又當麻曼陀
J20_0679B22: 羅搜玄疏七卷。同圖本一卷。同縁起一卷。同口決細
J20_0679B23: 辨一卷。善導大師曼陀羅略讚一卷等を造る。而して
J20_0679B24: 三人の關係不明にして單獨の研究に因れるが如き觀
J20_0679B25: あるも。何等かの關係あるや疑ふべからず。
J20_0679B26: 信冏一七五五 一八二〇徴譽と號す。尾張大成邑の人。寶曆
J20_0679B27: 十三年九歳にして伊勢山田梅香院響譽に投じて出家
J20_0679B28: す。東都遊學の後西に歸り。寬政二年請に應じ近江
J20_0679B29: 金勝阿彌陀寺に住し廢を興して功あり。同七年寺を
J20_0679B30: 辭し。八年獅溪に鎭西法彙廿卷を校す。同十年請によ
J20_0679B31: り伏見誓願寺に住し。同十二年十一月伊勢淸光寺に
J20_0679B32: 住す。爾來廿餘年同寺にあり自ら説敎し。或は他より
J20_0679B33: 高德を請して講説せしめ。又請に應じて四方に遊説
J20_0679B34: して。化導甚敦し。化導の餘暇校書著作尠からず。

ウィンドウを閉じる