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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0677A01: 九十七部二百十九卷の著述をなせり。然れども其書
J20_0677A02: の現存し或は其目の存するもの。三縁山誌十二卷。
J20_0677A03: 續三縁山誌十卷(目錄存するも他は無し)。四本山誌
J20_0677A04: 十卷(散迭)。檀林誌。無量山誌六卷。祝禱篇三卷。
J20_0677A05: 新撰淨土源流譜十卷。廣濟和尚傳三卷。釋迦佛傳來
J20_0677A06: 記三卷。善光寺如來渡證考二卷。原人論義解三卷。
J20_0677A07: 妙俊尼傳一卷等なり。文政四年十月廿一日故ありて
J20_0677A08: 辭山還俗す。其際進學日札三卷。同續編一卷を作り
J20_0677A09: て大衆に與へ。且置文一篇を殘して去る。歸俗の後
J20_0677A10: 覺齋と號し湯島邊に隱栖し。當時の碩儒鴻學と交際
J20_0677A11: し。後幕府の侍讀に任ぜられ。天保八九年の交五十八
J20_0677A12: 歳を以て卒せり。辭山後も淨宗先德奠香錄一卷を著
J20_0677A13: し。全く本宗と絶縁したるに非りき。彼の宗學に致し
J20_0677A14: たる貢献は專ら歷史の方面にあり。此の方面には從
J20_0677A15: 來に見ざる廣さと實質を有し。且系統的なりしも之
J20_0677A16: を完成するに至らずして辭山したる爲め。縁山誌を
J20_0677A17: 除きて外は概ね材料の蒐集に過ぎざりしは惜しむべ
J20_0677B18: きなり。
J20_0677B19: 經歷一七四〇 一八一〇十譽と號す。下總大須賀村の人な
J20_0677B20: り。齠齓にして學を好み博覽強識にして傍ら野乘稗
J20_0677B21: 史に通ぜり。十八歳小金東漸寺聞譽祐歷に就き出家
J20_0677B22: し。後縁山に掛錫し長泉院普寂の講莚に侍し千席に
J20_0677B23: 及べりと云ふ。明和年祐歷に從ひ三河大樹寺に赴
J20_0677B24: き。師を輔翼する傍宗乘を研究し頌義を閲する十八
J20_0677B25: 遍に及びしと云ふ。後西上して深草堪好に從ひ性相
J20_0677B26: を研覈し。其他禪密の諸宗を該羅したるが。其最も
J20_0677B27: 得意とする所は華天一乘なりき。初京都聖光寺に住
J20_0677B28: し講肆を張りしが。天明三年大阪藤田某廢寺を復興
J20_0677B29: し藤田寺と號す。其來住を請ふにより之に移り。中
J20_0677B30: 途細川侯の請に應じ熊本往生院に往住すること二年。
J20_0677B31: 疾を以て辭して大阪に歸り住す。爾後廿餘年四方に
J20_0677B32: 遊講せしが。文化七年十一月廿日七十一歳を以て寂
J20_0677B33: す。生平講ずる所の錄數十部ありしと雖も。上木秘
J20_0677B34: 藏せざりしを以て。現存するもの極て稀にして。法

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