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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0676A01: るも。尚關東に妙瑞。存統。圓通。攝門あり。京阪
J20_0676A02: に經歷。了吟。典壽。恢麟。音澂。立道あり。伊勢
J20_0676A03: に大順。信冏あり。妙瑞立道大順信冏は宗乘を專攻
J20_0676A04: し。攝門了吟は宗史を穿鑿し。經歷典壽恢麟等は餘
J20_0676A05: 乘に精進し。宗學の爲に氣焰を吐けり。
J20_0676A06: 妙瑞― 一七八七性譽と號す。增上寺定月の法嗣にし
J20_0676A07: て。鴻巢檀林を經て飯沼に轉じ。天明七年寂す。宗
J20_0676A08: 乘就中宗祖門下及三祖門下の異義に精通し。東宗要
J20_0676A09: 玄談。同講錄。補訂徹選擇集私志記等。數部の著述
J20_0676A10: ありて後學を裨益する所尠からず。
J20_0676A11: 存統圓通は佛敎天文學の研究を以て著名なり。存
J20_0676A12: ― 一八三〇轉譽と號し。靈巖寺に掛錫し眞梁に師事
J20_0676A13: し貞嚴に嗣法し。文化六年圓通窟に主とし累進して
J20_0676A14: 學頭となりしが。天保元年幕命により三河松應寺に
J20_0676A15: 住し。同三年七月十一日寂す。諸學に達せしも就中
J20_0676A16: 天文地理を喜び。須彌山圖。世界大相圖。閻浮提日
J20_0676A17: 宮圖は其最苦心の作なり。又道譽流の傳書及靈巖上
J20_0676B18: 人傳を纂校せり。
J20_0676B19: 圓通一七五四 一八三四字は珂月無外子と號し又普門と稱
J20_0676B20: す。因幡の人。七歳日蓮宗に入りて出家し。早く學
J20_0676B21: 内外に通ぜしが。中頃天台宗に改め。伯州大山。叡
J20_0676B22: 山安樂院等に住し。又京積善院豪潮に謁し久しく座
J20_0676B23: 下に侍す。常に西洋天文學の佛敎の信仰を破壞する
J20_0676B24: を慨き。經論を涉獵し歷史百家書に及び。博引深究
J20_0676B25: すること三十餘年にして遂に佛國曆象篇五卷を著す。
J20_0676B26: 後江戸に遊び芝山慧照律院に住し。天保五年九月四
J20_0676B27: 日八十一歳を以て寂す。著す所曆象編の外。須彌山
J20_0676B28: 儀圖。縮象儀。梵曆策進等あり。
J20_0676B29: 攝門一七八二 一八三八は常譽と號す。江戸の人。十三四歳の
J20_0676B30: 頃伊勢に赴き深野村に得度し察龍と改名す。居ること
J20_0676B31: 四年にして歸東し縁山に掛錫す。是寬政八九年の交
J20_0676B32: なり。縁山典海より攝門の名を授與せらる。爾來文
J20_0676B33: 政四年に至るまで在山殆んど廿五年なりしが。此間
J20_0676B34: 孜孜として内外諸典を攻究し。諸史舊記を涉獵し。

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