浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0667A01: | 餘輩刻苦勉勵事に從ひ。寶永三年春二月十九日より |
J20_0667A02: | 同七年夏四月に至る四年二ケ月を費して漸く業を竣 |
J20_0667A03: | る。是に於いて大藏對校錄一百卷を撰せんとせし |
J20_0667A04: | が。疾に罹り果す能はざるを以て。別錄を撰輯せん |
J20_0667A05: | とせしが。之すら成す能はざるを見て之を後昆に屬 |
J20_0667A06: | せり。二藏對校のこと是より後百十七年を經て越前國 |
J20_0667A07: | 絲生郷淨勝寺順慧も之を單獨にて成就し。明治十八 |
J20_0667A08: | 年弘經書院に麗宋元明四本對校本を出版せしも。其 |
J20_0667A09: | 濫觴は實に澂師にあり。又對校と共に明藏になくし |
J20_0667A10: | て麗藏にのみ存する慧琳音義一百卷を繕寫し之を出 |
J20_0667A11: | 版せんとし。十餘卷を上梓したるも疾により其業を |
J20_0667A12: | 完成する能はざりき。 |
J20_0667A13: | かくて多くの有益なる事業の完成を告るに遑あら |
J20_0667A14: | ずして。正德元年十一月十日獅溪の別房に遷化す。 |
J20_0667A15: | 世壽六十七法臘五十六。忍澂師に次ぎ獅溪を領し且 |
J20_0667A16: | つ宗學に功ありしは懷音なり。 |
J20_0667A17: | 懷音― 一七一四字は玄阿。本蓮社眞譽と號す。大和 |
J20_0667B18: | の産なれども其氏族生年を詳にせず。十六歳にして |
J20_0667B19: | 江戸に赴き縁山に掛錫し。專ら宗乘を學び傍ら性相 |
J20_0667B20: | を究む。後岩槻に往き聞證に師事す。故に義山とは |
J20_0667B21: | 同學なり。學成り郷里に歸り今井西光寺に住し。化 |
J20_0667B22: | 導利生に勉め護法扶宗に勵む。特に一念義の邪謬を |
J20_0667B23: | 彈斥し淨土考源錄を著す。忍澂之を見て其爲人を慕 |
J20_0667B24: | ひ繼席の人に擬し之を義山に謀る。音は山と同學の |
J20_0667B25: | 好を以て或時來りて山の房に宿せるを以て携へて澂 |
J20_0667B26: | を訪ふ。其日恰も蓮華勝會にて信者雲集せしかば澂 |
J20_0667B27: | 公音の智辯を試んとして代説を囑す。音已をえず昇 |
J20_0667B28: | 座説法するに雄辯懸河四衆を驚かす。澂益其人物を |
J20_0667B29: | 敬愛し補處たらんことを請ふ。固辭すれども許さず遂 |
J20_0667B30: | に來りて席を董す。時に元祿六年八月廿五日のことな |
J20_0667B31: | り。爾後元祿十五年に至るまで十年間職に在りし |
J20_0667B32: | が。其間曾て大和に於て復興せる葛城稱念兩寺を獅 |
J20_0667B33: | 溪の末院に屬し。澂師制定の規式益嚴肅なりしが。元 |
J20_0667B34: | 祿十五年老を以て隱退し正德四年五月五日罹病入寂 |