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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0666A01: す。或時師に啓し施主を募り幕府に請し獅溪の祖跡
J20_0666A02: に法然院興立の計畫を立つ。延寶八年工事に著手し
J20_0666A03: 翌年五月殿宇莊嚴備足す。萬無創立の記を造り又寺
J20_0666A04: の規制十七條を定めて之に附與す。天和三年三十九
J20_0666A05: 歳三心私記裒益三卷を撰し上梓す。元祿六年八月大
J20_0666A06: 和國今井西光寺懷音を以て獅溪の主席となし。己れ
J20_0666A07: は山内影臨菴に隱居し。又時に八幡昌玉菴に閑居念
J20_0666A08: 佛す。同十三年決疑鈔會本五卷を改刻す。是より先
J20_0666A09: 決疑鈔世間流傳年淹しく手寫の間雜亂訛脱甚多し。
J20_0666A10: 澂之を憂ひ善本を諸方に索求し。校合訂正三十星霜
J20_0666A11: を積みて此に至りて漸く成る。同十五年懷音獅溪を
J20_0666A12: 辭し澂の上足澄隱之に代る。十六年寺法をして永世
J20_0666A13: に鞏固ならしめんが爲めに幕府に請ひて法然院を官
J20_0666A14: 寺となす。翌年謝恩の爲に江戸に赴き將軍綱吉に謁
J20_0666A15: し選擇集大意を進講し。又桂昌院の爲めに法義を演
J20_0666A16: 説し大に嘉賞を蒙る。寶永三年伊勢蓮華溪寅載の請
J20_0666A17: に應じて吉水遺誓諺論一卷を著し。宗義の骨髓を彰
J20_0666B18: 明し異端邪謬を排斥す。かく獅溪を開きて宗門蘭若
J20_0666B19: の規模を範示し祖書の校正註解説明により宗學の研
J20_0666B20: 究指針を明にする等。一宗刷新の上に功績鮮からざ
J20_0666B21: りしが。其一代に於ける最大にして且不朽の功績を
J20_0666B22: 史上に止めたる事業は大藏經の對校なり。
J20_0666B23: 大藏經對校のことは彼が壯年時代よりの宿願なりし
J20_0666B24: も。莫大の勞力と費用とを要することとて。著手の機
J20_0666B25: 會を得ずして三十餘年を經過せしが。寶永三年に至
J20_0666B26: り漸く宿願を果すべき機運に際會したり。因りて江
J20_0666B27: 戸縁山學生。道行才識兼備せるもの十餘輩を招致す。
J20_0666B28: 直絃を上首として十餘輩招に應じて來り對校に從事
J20_0666B29: す。對校の方針は獅溪所藏の明藏と建仁寺の麗藏と
J20_0666B30: を校合するにありしが。建仁寺の藏規容易に他見を
J20_0666B31: 許さず。近衞公に依り建仁寺に請ひ披見の許可をえ
J20_0666B32: しも寺外運出を許されざれば。風晨雨暮獅溪より建
J20_0666B33: 仁に往返して校合に從事せしも。困難堪へ難きを以
J20_0666B34: て更に幕命を煩はして五十凾宛の搬出を許され。十

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