ウィンドウを閉じる

J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0663A01: 加ふれば八部に及ぶと云ふべし。
J20_0663A02: 普寂一七〇七 一七八一字は德門。後靈感によりて道光と號
J20_0663A03: す。伊勢國桑名郡增田村眞宗高田派源流寺秀寬の長
J20_0663A04: 子なり。十四歳にして桑名光明寺主倶舍論頌疏の講
J20_0663A05: 席に預り。十七歳にして美濃稱名寺圓澄の淨土論註
J20_0663A06: 講義を聽き。其翌年又澄に從ひ大小兩經講義を聽
J20_0663A07: く。十九歳桑名天祥寺禎山禪師に就き起信論義記。
J20_0663A08: 五敎章。圓覺略疏。因明纂解等の講義を聽き。隨聞
J20_0663A09: 記錄して性相の大献略梗概を領し。衷懷大に學敎に
J20_0663A10: 勇み。廣く古今の典籍を涉獵し以て敎中の奧頥を究
J20_0663A11: めんことを志せり。因て郷關を辭して京都に赴き。十
J20_0663A12: 玄講主に起信論義記。四敎儀集註。五敎章等を聽講
J20_0663A13: し。天旭講主に從ひ唯識述記を聽き。次て泉洲堺に
J20_0663A14: 之き眞敎求寂に大日經住心品疏を聽き。同洲明王院
J20_0663A15: に於て湛慧和上の唯識述記を聽き。後浪華に赴き勝
J20_0663A16: 鬘坂に鳳潭講主の法華徐註を聽講す。玆に至り想へ
J20_0663A17: らく聞薰漸く熟したれば向後は閑靜の地を卜して廣
J20_0663B18: く經論章疏を讀みて其義を研覈すべしと。時に河内
J20_0663B19: 國雁屋村法然寺義雄其寺に於て結友修學せんことを勸
J20_0663B20: む。よりて即彼寺に赴き勵精倶舍論及其三大疏を披
J20_0663B21: 閲せしが。苦學過度にして疲困甚しかりしかば。療養
J20_0663B22: の爲に堺に赴く。然るに當時專稱寺慧然唯識論及倶
J20_0663B23: 舍論頌疏を講ぜしが。寂の來問を喜び頌疏の代講を
J20_0663B24: 依囑す。講終らんとするに及び發病し體氣虚羸にし
J20_0663B25: て讀書に堪へず。生命の久しく保ち難きを想ひ出離
J20_0663B26: の難關に逢着して非常なる煩悶に陷れり。先づ眞宗
J20_0663B27: 敎義が全く正法の藩籬を逸せるを想ひ。生家を棄て
J20_0663B28: て淨土宗入らんと志し。肉弟智圓が弟子たりし河内
J20_0663B29: 國交野郡津田村正應寺に赴く。時に享保十九年四月
J20_0663B30: 廿八日廿八歳の年なりき。此寺にありて一心念佛せ
J20_0663B31: しが伊勢國四日市に在りし肉弟乾雅の周旋により。
J20_0663B32: 尾張國八事山に遷りて勵精念佛す。關通其道心に隨
J20_0663B33: 喜し使を遣し慰問奬勸し。且つ缺乏を供給せんこと
J20_0663B34: を乞ひ。又明師に從ひ大器を完成せんことを勸む。然

ウィンドウを閉じる