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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0662A01: べし。彼華開院に住すること元祿十二年より享保八年
J20_0662A02: に至る二十五年にして。恰も其間義山は同院に講莚
J20_0662A03: を敷くこと屢次にして。享保二年彼住寺に入寂せるを
J20_0662A04: 見ば其の關係の尋常ならざりしを想見すべし。彼幼
J20_0662A05: 時聞證に倶舍唯識性相の旨を聽き。十七歳にして江
J20_0662A06: 戸に遊び靈山寺に掛席し。廓瑩に就き兩脈を相承す。
J20_0662A07: 又東西に遊び諸宗の碩匠に謁し。餘暇には兼て世典
J20_0662A08: を物茂卿の塾に學び。書を雲竹に習ふ。學寮に在る
J20_0662A09: 日徒を集め七十五法名目。倶舍論頌疏。略述法相
J20_0662A10: 義。唯識論略解等を講じ。既に一家の體を成せし
J20_0662A11: が。元祿十二年二十五歳にして京都に還り。師跡華
J20_0662A12: 開院を董するや。俗冗を遣去して專ら攷學に勵み。
J20_0662A13: 四阿含。六足。發智より深密。瑜伽。攝大乘等の阿
J20_0662A14: 毘達磨を研尋し。又古德先匠の鈔疏涉獵せざるな
J20_0662A15: し。就中慈恩。賢首の學を精究せり。屢宗門宗外の有
J20_0662A16: 志の請に應じて論疏を講演せしが。該博深邃の學識
J20_0662A17: に加ふるに慧辯流るるが如なりしを以て。講席は常
J20_0662B18: に内外の學徒を以て滿されたりと云ふ。又機鋒鋭利
J20_0662B19: にして當時諸宗の碩學と辯難應酬して一步を假借せ
J20_0662B20: ず。華嚴宗の鳳潭は當時最も卓識なる學者として一
J20_0662B21: 世を風靡せしが。正德元年公務により江戸に赴き。淺
J20_0662B22: 草凉源寺に講席を開き。起信論義記を講じては潭の
J20_0662B23: 幻虎錄を駁し。華嚴五敎章を講ずるや其匡眞鈔を破
J20_0662B24: して完膚なからしめ。天台靈空勿字解一篇を著し。彼
J20_0662B25: が勿字之説を難ずるや。一露濤一卷を造りて之を對
J20_0662B26: 破せり。一代の著述は。享保十六年高野山學侶の請に
J20_0662B27: 應じて泉北明王院に倶舍論を講せる際に指要鈔十卷
J20_0662B28: を撰し。翌年唯識論述記を講せる際には成篇四十五
J20_0662B29: 卷を造り。長德院大起の請に應じ梵網法藏疏を講ぜ
J20_0662B30: し際に辯斷三卷を著し。元文四年興正菩薩四百五十
J20_0662B31: 年忌に法苑表無表章を講じて報恩吼八卷を著し。同
J20_0662B32: 五年貫練篇廿八卷を造り。延享二年華嚴經搜玄記を
J20_0662B33: 京淨樂寺に講ずる後帝網鈔六卷を撰す。其他鳳潭の
J20_0662B34: 金剛槌論に對し因陀羅手一卷を著す。之に一露濤を

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