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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0661A01: 化す。世壽七十歳なり。著すところ三部經隨聞講錄
J20_0661A02: 十二卷。和語燈錄日講私記七卷。選擇集講錄三卷。
J20_0661A03: 敕修御傳翼賛六十卷(圓智と共著)。同遺事一卷。鎭
J20_0661A04: 西聖光上人香月系譜一卷。御傳隨聞記十卷。一枚起
J20_0661A05: 請辨述一卷。三卷書隨聞記一卷。曼陀羅述弉記四
J20_0661A06: 卷。授菩薩戒儀要解一卷等あり。但し義山が最精力
J20_0661A07: を傾倒したるは翼賛にして。其餘は概ね彼講義を門
J20_0661A08: 弟極樂寺見阿の輯錄せるものにして治定せるものに
J20_0661A09: 非ず。また宗義上の解釋が名越に黨し白旗正義に背
J20_0661A10: 馳すとの非難なきに非ずと雖も。此微瑕を以て彼の
J20_0661A11: 宗學上に於ける功績を沒却すべからず。
J20_0661A12: 義山門下祖巖・素中・梁道・湛慧等あり。祖巖單
J20_0661A13: 阿と號し入信院の後看たり。師の行業記は巖の錄せ
J20_0661A14: る所にして珂然之を修補し。要解を加へて刊行せる
J20_0661A15: ものなり。素中高譽見阿と號し。京都極樂寺に住せ
J20_0661A16: り。三部經講錄。選擇集講錄。御傳隨聞記等は何れも
J20_0661A17: 彼の筆錄に係り。和語燈日講私記の如きは。一卷だ
J20_0661B18: けが山師の講述にして。二卷以下は全く彼の補講の
J20_0661B19: 筆錄なり。梁道― 一七三一妙蓮社海譽と號し。小金東
J20_0661B20: 漸寺第廿一代の能化なり。曾て華頂門主尊統法親王
J20_0661B21: の師範を命ぜられ。著述少からざりしが多く散迭し
J20_0661B22: て傳はらず。但科文阿彌陀經。科文稱讚淨土經。同
J20_0661B23: 經疏三卷のみ梓行せらる。道の門下に定月。團智。
J20_0661B24: 貞信等あり。湛慧は其門下普寂と共に淨土律の興隆
J20_0661B25: を以て著名なるも。性相華嚴等の餘乘に於て。却て
J20_0661B26: 當時並に後世に其名を恣にす。慧寂兩師の律門に關
J20_0661B27: する事業は。上に既に之を辨ぜしを以て。玆には單
J20_0661B28: に講學の方面のことのみを略記すべし。
J20_0661B29: 湛慧一六七七 一七四八諱は信培。澄蓮社忍譽と號す。以八上
J20_0661B30: 人傳及三縁山誌十下卷には慧を以て義山嗣法の弟子
J20_0661B31: とすれども。行狀には聞證法弟息菴の弟子となす。然
J20_0661B32: れども息菴は義山の法叔父にして。慧二十五歳の時
J20_0661B33: は既に衰邁にして華開院の董職に堪へずして。之を
J20_0661B34: 慧に附せしに徴するに。彼又義山に師事したるなる

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