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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0660A01: 鑑あり。雜部には義海。文雄。慧頓等あり。諸方面
J20_0660A02: に亘りて蘭菊美を竸ふの盛觀を呈せり。
J20_0660A03: 聞證門下の翹楚に圓智。義山ありしこと前に之を
J20_0660A04: 述べぬ。圓智號は中阿。近江國大津の人常念寺圓立
J20_0660A05: に從ひ得度し。後ち岩槻に赴むき聞證に從ひ宗餘乘
J20_0660A06: を學す。業成るののち近江國草津正定寺に住す。曾て
J20_0660A07: 義山と共に京都淨敎寺に聞證に謁す。證兩人に宗祖
J20_0660A08: 傳記の校正註釋考證のことを依屬す。義山は專ら對
J20_0660A09: 校の業に膺り。圓智は註釋考證の業に從ひ。文義の
J20_0660A10: 注すべきもの事實の考ふべきもの略成就せりと雖も
J20_0660A11: 未だ完結に至らずして逝く。義山之を修補整頓して
J20_0660A12: 完成す。圓光大師行狀畫圖翼賛六十卷是なり。別に
J20_0660A13: 西方要決略註。常麻曼陀羅捫象十四卷等あり。
J20_0660A14: 義山一六四八 一七一七字は良照又圓觀と號す。京都の産な
J20_0660A15: り。十五歳にして大和國郡山城外光傳寺に入りて出
J20_0660A16: 家し。翌年縁山に遊學し從法兄呑譽の室に入る。幾
J20_0660A17: ばくもなく呑譽これを大澤聞證の下に送る。のち聞
J20_0660B18: 證に隨從して岩槻に赴き宗乘及び餘部を研鑽す。遂
J20_0660B19: に佛眼山學生の上首となり。師に代りて宗乘及倶舍
J20_0660B20: 唯識因明等の諸書を敎授せり。三十六歳業林を辭し
J20_0660B21: て京都に還り。爾來縁に隨ひて居處を定めず講學を
J20_0660B22: こととす。常に宗籍の魚魯多くまた古書の隱沒する
J20_0660B23: ことを慨き。善本を諸方に索求して校正し論註。安樂
J20_0660B24: 集。五部九帖。群疑論。選擇集。漢和燈錄等を校訂
J20_0660B25: 梓行して學者に便宜を與へたること非常なり。又常
J20_0660B26: に學徒の啓發を樂とせしも名利のためには一句も講
J20_0660B27: ずることを肯んぜず。曾て水戸光圀公請して淨鑑院
J20_0660B28: に置かんとせしも。世務徒らに學道を曠廢せんこと
J20_0660B29: を惧れて辭して赴かず。一時知恩院別院入信院に群
J20_0660B30: 疑論及び宗祖傳を講ずるや。門主親王入りて聽受し
J20_0660B31: たまひ。又た靈元上皇仙洞御所に召して宗要を問は
J20_0660B32: せたまふに對し三經釋を進講し且つ十念を授與し奉
J20_0660B33: る。その他貴顯の歸依し宗義を諮問するもの多し。
J20_0660B34: 享保二年秋疾に罹り。十一月十三日洛西華開院に遷

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