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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0657A01: 終講に時日の制限なく。講書も自他宗長短任意にし
J20_0657A02: て。講場の儀式も一定の規則なく極めて自由なるも
J20_0657A03: のなりき。かく此講義は講者の隨自意に出でしもの
J20_0657A04: なれども。檀林にては之を奬勵するが爲に特に朔望
J20_0657A05: 本坊に出勤するを免ぜられたり。
J20_0657A06: 内内講 内講が講者の隨自意に出でしに對し。所
J20_0657A07: 化衆中特志の發起者ありて懇望によりて開講するを
J20_0657A08: 云ふ。故に其講書は發起者の依賴に應じ内外自他の
J20_0657A09: 章疏に涉りて定なし。其講者が所化衆中の眞の學者
J20_0657A10: たること言ふまでもなし。
J20_0657A11: 二 檀林外に於ける宗學
J20_0657A12: (一) 初期
J20_0657A13: 檀林の學問は一宗僧侶の普通敎育なり義務敎育た
J20_0657A14: り。此に對し進みて專門的に深く宗乘を研き該く餘
J20_0657A15: 乘を講ずる一派の起るべきは。自然の勢にして實際
J20_0657A16: かかる學者も決して尠少にあらざりき。
J20_0657A17: 德川の初運に當り。不殘。廓山の兩師奈良に赴き唯
J20_0657B18: 識因明を學び。歸りて之を鴻巢礫川に講ず。是關東檀
J20_0657B19: 林に於ける性相研究の嚆矢なり。即不殘は鴻巢勝願
J20_0657B20: 寺の能化職にして慶長十一年八月南都六宗長官一乘
J20_0657B21: 院尊勢に就きて唯識因明の許可を受け。廓山は礫川
J20_0657B22: 傳通院の開山にして慶長十三年の城中淨日法問には
J20_0657B23: 本宗の代表者に選ばれたる人なるが。慶長十八年十
J20_0657B24: 月東照公の命により南都に遊學して一乘院尊勢。喜
J20_0657B25: 多院空慶に就き唯識を學ぶ。元來本宗は愚鈍無智を
J20_0657B26: 正機とするが故に學問を輕蔑するの傾向を有するの
J20_0657B27: みならず。足利中世以後一定の檀主なくして唯談義
J20_0657B28: 唱導愚夫愚婦の間に遊説せしが故に。一層此傾向を
J20_0657B29: 增長し專門的研究の如きは之に携はるの餘裕を有せ
J20_0657B30: ざりしなり。然るに本期に入り一躍して性相台言禪
J20_0657B31: 等の諸宗の班列に加はり。之と馳驅するに至れるを
J20_0657B32: 以て。勢ひ愚鈍無智を文字通に固守するを許さざる
J20_0657B33: に至れり。故に宗侶も進みて學問研究に志し。德川
J20_0657B34: 氏も成るべく之を奬勵援助したるが如し。然れども

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