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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0651A01: 十餘宇を有し。月行事も十二僧完備せしが。再三轉
J20_0651A02: 地の爲め衰廢し。文政元年の寮主名簿には九名を連
J20_0651A03: ぬるのみ。深川靈巖寺と。小石川傳通院とは。稍や
J20_0651A04: 其の勢力を維持することを得たり。靈巖寺は明曆大
J20_0651A05: 火以前は百二十餘宇を有せしも。深川に移轉後は八
J20_0651A06: 十寮に減じ。其の後も漸次減少するのみなりしが。
J20_0651A07: 文政元年の調査によれば尚ほ七溪四十二寮を有せし
J20_0651A08: と云ふ。傳通院も當初より大いに其の數を減ぜし
J20_0651A09: も。文政五年の調査によれば尚ほ東西兩谷十七寮を
J20_0651A10: 有したり。其の大衆標名は八九百に及び。百名ばか
J20_0651A11: りは常住せしと云ふ。增上寺にては數においては時
J20_0651A12: に增減あり。文政年中には八十三寮あり。往古百二
J20_0651A13: 十寮ありしとの傳説を信なりとせば。其の數甚だ減
J20_0651A14: 少せしが如きも。各寮の大は非常に增加せしこと。
J20_0651A15: 其の地域より見るに明かなり。即ち往古は數人を容
J20_0651A16: るるに過ぎざりしものが。後世數十人を收容しえた
J20_0651A17: るや明かなり。故に其經過は他檀林と逆比例をなせ
J20_0651B18: しことを知るべし。
J20_0651B19: (二) 學課及學期
J20_0651B20: 檀林の學課は之れを九部に分つ。名目。頌義。選
J20_0651B21: 擇。小玄義。大玄義。文句。禮讚。論。無部是れな
J20_0651B22: り。無部は既に八部を卒業したる後にて定まれる課
J20_0651B23: 目なく。八部は專ら宗乘に就て名を立つれども。有
J20_0651B24: 志者は性相權實等の餘乘を研鑽し。諸子百家の俗典
J20_0651B25: を講習するも妨げなきのみならず。山内に於ても時
J20_0651B26: 時餘乘の講席は開設せられて聽者の來るを俟ち。又
J20_0651B27: 遙に上野湯島等に通學聽講せる特志家も尠からざり
J20_0651B28: しが如し。
J20_0651B29: 然れども中古以往は萬事形式に流れたる結果。學
J20_0651B30: 問の如きも學課名目のみありて眞面目に之れを研
J20_0651B31: 究する者寥寥曉星の如く。多くは三年毎に部轉して
J20_0651B32: 二十五年目に無部に入り。全課を卒業するも依然と
J20_0651B33: して吳下の阿蒙たり。部轉を云云し何部を喋喋する
J20_0651B34: も。其の實力を問ふに非らずして。年功の奈何を重

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