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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0632A01: ところの。最大なる標的なりしが故なり。故に江戸檀
J20_0632A02: 林には早く員數の制限を見るに至れり。即貞享二年
J20_0632A03: 法度(三)の下知狀の第四項には。江戸五ケ所之檀林
J20_0632A04: 新來之所化員數。增上寺七十人。傳通院五十
J20_0632A05: 人。靈巖寺幡隨院靈山寺三十人宛可限之事とあ
J20_0632A06: り。其田舍檀林に及ぼさざるは制限の必要なきが
J20_0632A07: 故なり。この制限の設けられしにも拘はらず。縁山
J20_0632A08: には三千の所化常在せり。入寺者の制限は必しも增
J20_0632A09: 上寺の希望にあらずして。自家の入寺者を減少せざ
J20_0632A10: らしめんとの。田舍檀林の希望は其第一因たり。成
J20_0632A11: るべく入寺者の數をして各檀林に平均せしめ。縁山
J20_0632A12: のみに集中せざらしめんとの。幕府の政策はその第
J20_0632A13: 二因たりしなるべし。正月定員の入寺者は抽籖によ
J20_0632A14: り採用するが故に之を籖入寺と稱せしが。增上寺に
J20_0632A15: おいては種種の口實を設けて。平時員外の入寺を許
J20_0632A16: 可せり。即方丈役者。學寮主。及三席の直弟入寺
J20_0632A17: と。似我入寺これなり。
J20_0632B18: 似我入寺とは蜾蠃か螟蛉の子を採りて我子となす
J20_0632B19: との傳説に基く。即他人の弟子を中途より自の弟子
J20_0632B20: とすることにして。謂ゆる假弟子附弟として臨時に
J20_0632B21: 入寺せしむるなり。之をなしうる資格には無論制限
J20_0632B22: あり。而してその制限も漸次廣められしことは。寶
J20_0632B23: 永五年七月廿四日縁山役者より月行事に與へたる定
J20_0632B24: 書によりて知ることを得。即
J20_0632B25: 一、新來入寺定數之外先年一文字席中壹人宛月行
J20_0632B26: 事席中壹人宛役者中壹人宛只今迄御免許有來
J20_0632B27: 候然處正月入寺之殘僧當山入寺願候者甚多寺内
J20_0632B28: 致滯在何茂難儀仕候付達而願上有之故此度別
J20_0632B29: 而伴頭者壹ケ年壹人宛五人以上者二﨟迄之内席中
J20_0632B30: 壹人兩役者壹ケ年壹人宛似我弟子御免被成候由
J20_0632B31: 被仰出候間右之趣御仲間中え御通達可被成候
J20_0632B32: 以上子七月廿四日 役者 當月行事靈雲和尚
J20_0632B33: と。然らば寶永五年以前。何時の頃よりか此似我入
J20_0632B34: 寺のことが案出せられ。正月入寺の定員七十名の

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