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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0622A01: 其の内より幕府の任命するところなり。かく選擧の
J20_0622A02: 手續綿密にして增上寺の專橫を許さざるが如きも。
J20_0622A03: 檀林能化は何れも曾て增上寺の所化たりしものなり
J20_0622A04: 一組の意向察するに難からず。二組は無論增上寺所
J20_0622A05: 化多數を占め。三組は增上寺方丈たり。此の選擧が增
J20_0622A06: 上寺所化に九分以上の利益ありて。他檀林所化は一
J20_0622A07: 分の利益をも有せざりしこと想像に難からず。尚ほ
J20_0622A08: 他檀林所化中の人物が此選に洩れんことを恐れ。同下
J20_0622A09: 知狀の第五條に左の如き規定あり。十七檀林之伴頭
J20_0622A10: 銘銘法﨟俗年可書出之勿論秀學器量可爲能化
J20_0622A11: 僧侶於有之者明直書付增上寺指出之帳面記置右
J20_0622A12: 書出之趣寺社奉行所へ相達檀林住持選入札之人數
J20_0622A13: 可相加事と。然れども此規定が幾干の効果を將ら
J20_0622A14: せしかは甚疑問なり。これ等諸條目にも拘はらず。
J20_0622A15: 本所牛島に隱居せる祐天が元祿十二年二月大巖寺住
J20_0622A16: 職に拔擢せられ。貞享三年十月二十六日靈巖寺伴頭
J20_0622A17: 覺道が鴻巢勝願寺住職に擧げられ。寶曆元年十一月
J20_0622B18: 傳通院伴頭碩巖が同上寺に晋董したる以來。香衣檀
J20_0622B19: 林住職は縁山伴頭二﨟の獨占する所となりて寬政年
J20_0622B20: 度に及べり。
J20_0622B21: 寬政四年閏二月三日。寺社奉行脇坂淡路守は增上
J20_0622B22: 寺役者法月寬靈に對し。左の直達の書付を交付せり。
J20_0622B23: 『香衣檀林後住書上之儀增上寺山中月行事並諸檀林
J20_0622B24: 之伴頭都合二十九人之内斗致入札來候得共以來ハ
J20_0622B25: 右之外タリトモ相當之僧有之節ハ書上可申候自ラ
J20_0622B26: 諸山策勵之基且ツ一宗衰微致スマシキ爲トモ可相
J20_0622B27: 成候尤香衣檀林書上ノミニ限ラス總シテ此趣ヲ可
J20_0622B28: 相心得候然共右は餘山に法德格別之僧有之節之事
J20_0622B29: ニテ候闕如スルモカナラス餘山ヲ可加トノ儀ニハ無
J20_0622B30: 之候然ル上ハ常ニ無油斷廣ク諸山ヲ可致穿鑿
J20_0622B31: 置儀專要ニ候右之趣者佛法之衰敗ヲ可被助被仰
J20_0622B32: 出事ニ候條永不可遺失候』。此一片の達旨に就
J20_0622B33: き。增上寺においては上座大衆の會合を催し。また
J20_0622B34: 特に檀林會議を開き種種評議を凝らし。其の命を命

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