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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0619A01: 推挽助成し。先着手としてその居寺を律院に改めた
J20_0619A02: るが如き。其律の興隆に對する態度の尋常ならざり
J20_0619A03: しを見るべし。又宗門の人に非るも本宗律門の興隆
J20_0619A04: に大に助力したる人あり。即ち南都法隆寺法澤是な
J20_0619A05: り。律師は眞言宗の人。受具の後湛慧に依止して戒
J20_0619A06: 律と華嚴とを學び。關通に從ひて淨土の法要をきき
J20_0619A07: 一向稱名の行者となれり。かくて德門。可圓。稱察
J20_0619A08: 等の沙彌自誓進具の時は喜んで證明師となり。行事
J20_0619A09: の口訣等懇切に敎授指導したり。
J20_0619A10: 靈潭とは別に本宗に律門を興隆したる人あり。即
J20_0619A11: 瓔珞菴敬首是なり。和上は近江國の人。幼少の時東
J20_0619A12: 都湯島靈雲寺に詣し。僧侶の行儀淸肅なるを見て出
J20_0619A13: 家の志を起し。元祿九年十五歳にして。增上寺岸了の
J20_0619A14: 寮に入りて剃髮得度して祖海と稱す。後京都に上り
J20_0619A15: て獅子谷忍澂の下に修學せしが。其の指示によりて
J20_0619A16: 湖西安養寺に到り慧堅律師に謁し。且證明によりて
J20_0619A17: 自誓進具し。大乘菩薩比丘となり。名を敬首と改
J20_0619B18: む。寶永二年廿四歳にして岸了に歸省す。岸了時に
J20_0619B19: 小金東漸寺の能化たりしが。增上寺大僧正祐天と謀
J20_0619B20: り。武藏花又正受院を以て律院となし。彼を開山と
J20_0619B21: なし律院の制を布く。是れ本宗律院の規則を制する
J20_0619B22: 濫觴なり。享保の頃同院を弟子本明に讓り。江戸下
J20_0619B23: 谷に隱遁し自ら草菴を作りて之を瓔珞菴と號し。別
J20_0619B24: に書庫を設け眞如院と云ふ。寬延元年九月二十日瓔
J20_0619B25: 珞菴に示寂す。壽六十六法﨟四十四。諸弟子相謀り
J20_0619B26: て遺骸を下谷壽永寺に葬る。增上寺大僧正連察幕府
J20_0619B27: に請ひて。壽永寺を改て律院となし彼を中興開山と
J20_0619B28: なす。弟子元皓次で住す。
J20_0619B29: 以上關西東都に於ける諸律院の外。別に東奧に律
J20_0619B30: 院を創めたる者あり。無能寺奉律第一祖良照不能是
J20_0619B31: なり。不能始め敬首に隨ひて通受從他の法によりて
J20_0619B32: 具戒を容れ。更に京都に上りて忍照求寂と共に聖臨
J20_0619B33: 菴に到りて通受自誓受の法によりて滿分戒を受く。
J20_0619B34: 法澤。可圓。稱察。普寂の四師同座證明す。後奧州

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