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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0618A01: 長泉院は大僧正を開山とし。不能を第二世とし。德
J20_0618A02: 門和上を第三世とす。然れども事實上の開山殊に律
J20_0618A03: 院としての開祖は和上を推さざるをえず。長泉院住
J20_0618A04: 寺の後增上寺に於て經論章疏を講じ。又再度上洛し
J20_0618A05: 初は長時院に。後は成等菴に講莚を張る。天明元年
J20_0618A06: 十月十四日長泉院に寂す。壽七十五法臘三十六。
J20_0618A07: 德門の門下戒如僧尾。大心僧暾。僧光旭忍あり戒
J20_0618A08: 如は洛西成等菴三世たりしが。後東都惠照院に移住
J20_0618A09: す。當院は桂昌院の遺志により寶永二年に設立せら
J20_0618A10: れ。心岩檀智。心蓮。待蓮。蓮香。戒陣和上。智照
J20_0618A11: 悅運和上等相次で住せしが。戒如其第七世なり。大
J20_0618A12: 心は初長時院に住し後成等菴に遷り住す。其の門下
J20_0618A13: 道性慧愷。慧梁大椿。性璞旭釧。白辨大愚等あり前
J20_0618A14: 三人は相繼で惠照院に住し。白辨は靈門の證明によ
J20_0618A15: り進具し。後長時院に住せり。僧光は成等菴の住持
J20_0618A16: たりし人なり。
J20_0618A17: 可圓は信濃國の人。東都深川靈巖寺に兩脉相承の
J20_0618B18: 後ち。敬首に隨て菩薩戒を受く。次で義燈和上に隨て
J20_0618B19: 沙彌戒を受け。圓成寺奉律第三世と成り。其後湛慧
J20_0618B20: に隨て律を學び。其滅後影前に於て自誓進具す。又
J20_0618B21: 美濃國庭田圓滿寺。洛西北野西迎院。大阪龍興寺。
J20_0618B22: 同深江法明寺等を再興し奉律の始祖と成れり。宇治
J20_0618B23: 平等院。大和の東福寺。同吉田寺等も和上及其法孫
J20_0618B24: の感化により律院と成れりと云ふ。和上の門下海音
J20_0618B25: 慧梵。松仙慧風。大圓慧融。大愍慧琢あり。海音は
J20_0618B26: 圓成寺第四世となり。松仙は圓滿寺第二世と成り。
J20_0618B27: 又美作國誕生寺奉律祖と成る。其下に闡瑞慧極。大
J20_0618B28: 忍慧力あり。闡瑞は圓滿寺第三世と成り。大忍は誕
J20_0618B29: 生寺第二世と成る。大圓は大阪龍興寺第二世とな
J20_0618B30: り。大愍は圓成寺第五世と成る。其下大法惠水は圓
J20_0618B31: 成寺六世となる。
J20_0618B32: 以上は靈潭に其源頭を有する淨土律院系統の梗概
J20_0618B33: なるが。此流派をして盛大ならしめたるは實に關通
J20_0618B34: の功與て大なり。上人自進具せずと雖も其器を見て

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