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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0617A01: 通の盡力最大なりき。義燈は延享二年六月十七日圓
J20_0617A02: 成寺に寂す。壽五十二法臘十二なりき。和上の門下
J20_0617A03: に德門道光。可圓慧恭あり
J20_0617A04: 德門は伊勢國桑名眞宗源流寺季寬の第一子なり。
J20_0617A05: 少壯にして内外性相の學に精通したりしが。生家の
J20_0617A06: 宗義に慊焉たらずして。享保十八年廿八歳にして眞
J20_0617A07: 宗の法衣を脱し。河内國交野郡津田正應寺に寓す。
J20_0617A08: 次で尾張國八事山に移り。前住高隣に就き菩薩戒及
J20_0617A09: 盡形齋戒を受け晝夜の別なく念佛誦經苦修練行す。
J20_0617A10: 關通之を聞き隨喜供養し且戒律の興隆を勸奬す。是
J20_0617A11: に於てか同上人の書を得て江戸に敬首を訪はんとせ
J20_0617A12: しが。敬首の勸によりて東下を中止し先づ義燈和上
J20_0617A13: に崇福寺に謁す。次で義燈と共に京都深草の玄門通
J20_0617A14: 西に住し。其門に入り慧謙字は德門と號す。幾もな
J20_0617A15: く東歸し義燈に師事し。次で安樂律院の靈空に謁し
J20_0617A16: 一門の律を受く。元文元年江戸に下り義燈と共に敬
J20_0617A17: 首に就き天台戒疏の講を聽く。同年關通西方寺を律
J20_0617B18: 院となし義燈を聘せしかば。之に隨從して尾張に赴
J20_0617B19: き。元文三年息慈法を受け。再上洛して聖臨菴に留
J20_0617B20: り。又守山淨土寺に住す。此に胸裡三大疑問を生ぜ
J20_0617B21: しかば。之を消却せんが爲に禪門に入り工夫參究
J20_0617B22: す。延享三年湛慧の慫慂により進具の準備をなせし
J20_0617B23: が。同年末より律師病重く翌年二月に寂せしかば。
J20_0617B24: 同年六月十日律師肖像前に於て。法隆寺法澤深覺二
J20_0617B25: 律師を證明として自誓受具す。是より長時院に留り
J20_0617B26: 寺務を管せしが。寶曆元年檀主の強請により同院に
J20_0617B27: 住し。法皷を敲く。同十二年江戸目黑長泉院成り。幹
J20_0617B28: 事千如書を寄せて師の來住を懇請す。是より先增上
J20_0617B29: 寺大玄大僧正。戒律興隆に焦慮し律院創立の希望あ
J20_0617B30: り。弟子千如をして工事を監督し。奧州無能寺第二
J20_0617B31: 世不能律師の蟠龍寺に在るを迎へて律院を創剏せん
J20_0617B32: とせしも。幕府の許可を見るに至らずして僧正律師
J20_0617B33: 相繼ぎて遷化し。千如其遺志を繼ぎ拮据經營し。奔
J20_0617B34: 走周旋して遂に僧正の遺志を完成したるなり。故に

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