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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0610A01: ひ。本來桑門の意義と疎隔せる行動に出づるは。洵
J20_0610A02: に已むをえざる結果なり。德川時代に於ける本宗寺
J20_0610A03: 院は。德川氏の香華院は勿論。然らざるも其香華宗
J20_0610A04: たる關係よりして。寺院の結構優美に流れ。僧侶も
J20_0610A05: 一般に華奢に赴き。紫香の色に誇り。宗祖の隱遁質
J20_0610A06: 素なる高風地を拂ひて空しく。佛陀の淸肅洒脱の律
J20_0610A07: 儀捨てて顧られざるに至れり。是に於て一方に宗祖
J20_0610A08: の高風を惝怳し之を再現せんと企て。他方には佛陀
J20_0610A09: の淸律を敬慕して之を復興せんと試むる者あり。前
J20_0610A10: 者は稱念を首唱とする捨世派にして。其主義により
J20_0610A11: て立つ寺院を捨世地と云ひ。後者は靈潭を先驅とす
J20_0610A12: る興律派にして。此主義によりて起れる寺院を律院
J20_0610A13: と云ふ。
J20_0610A14: 捨世流とは。即隱遁主義專念主義なるも。唯宗祖
J20_0610A15: の遺風を固守すると云ふのみにして。一定の規律制
J20_0610A16: 約あることなし。此流の首唱者は。增上寺七世親譽周
J20_0610A17: 仰の弟子。縁譽稱念なり。師幼にして親譽に師事
J20_0610B18: し。親譽滅後飯沼鎭譽祖洞に受法す。嗣法の後岩槻
J20_0610B19: に學席を張りしも。夙に世の名利を嫌忌せしかば。
J20_0610B20: 去りて江戸に天智菴を開く。此菴始めは櫻田邊に在
J20_0610B21: りしが。江戸開府の始西久保に移り天德寺と稱せる
J20_0610B22: もの之なり。居住僅に三年にして。天文十三年錫を
J20_0610B23: 東海道に振ふ。行く行く法雷を震ひ伊勢に赴き太神
J20_0610B24: 宮に詣じ。又松坂樹敬寺に止住し。近傍に施化する三
J20_0610B25: 星霜。辭して京都に赴く。實に天文十六年春なりき。
J20_0610B26: 最初黑谷に參じ後華頂に詣で。次で祖廟南隣の地に
J20_0610B27: 草菴を結び專精念佛す。歸依の老若其門に蝟集し。
J20_0610B28: 渴仰の貴賤踵を接して到り。喜捨の財積て草菴幾も
J20_0610B29: なく一大伽藍と成る。是捨世地の本山一心院なり。
J20_0610B30: 其構造は門は北に設け南向して入り。佛殿西に在り
J20_0610B31: て東向す。此結構は師草創の何れの寺にも適用せら
J20_0610B32: れたり。
J20_0610B33: 稱念の草創にかかる寺院。關の東西を通じて四十
J20_0610B34: 七箇寺ありと傳へらるるも。其の京都近傍に於ける

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