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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0605A01: 者は幡隨、後者は廓山なるが如し。又開創年時の如
J20_0605A02: きも傳説と事實と一致せざるものあり。光明寺。勝
J20_0605A03: 願寺の如き是なり。此等は傳説に隨ひ疑點を附す。
J20_0605A04: 其他異説あるもの多けれども。今は其一説を擧ぐる
J20_0605A05: のみ。前にも述べし如く。靈山寺は三世天嶺學德未
J20_0605A06: 熟の爲學徒退散し。爾後適當なる能化をえざりしか
J20_0605A07: ば。寬永三年より六十年間法幢中絶せしが。貞享二
J20_0605A08: 年十一月二十九日發布法度(三)により再興を允許せ
J20_0605A09: られたり。即第三條に淺草靈山寺爲檀林所之處
J20_0605A10: 就令斷絶此度再興被仰付之條諸檀林如法式
J20_0605A11: 可相勤事とあるこれなり。
J20_0605A12: 十八檀林は。之を紫衣。香衣(或は黄衣とす)の
J20_0605A13: 二種に大別す。常紫衣の宣旨を賜へるを紫衣檀林と
J20_0605A14: 呼び。其他を總て香衣檀林とす。紫衣檀林は增上
J20_0605A15: 寺。光明寺。傳通院。常福寺。弘經寺。大光院の五
J20_0605A16: 箇寺なりしが。幕末に至り靈巖寺に紫衣を賜はりし
J20_0605A17: より六箇寺となれり。即光明寺は明應四年第八世觀
J20_0605B18: 譽祐崇の代。增上寺は慶長十三年第十二世觀智國師
J20_0605B19: の代。大光院は元和八年開山然譽呑龍の代。傳通院
J20_0605B20: は同年開山正譽廓山の代。弘經寺は寬永十一年第十
J20_0605B21: 一世南譽雪念代。常福寺は延寶四年第二十世淸譽林
J20_0605B22: 作の代。靈巖寺は安政元年溫譽大宣の代に。夫夫紫衣
J20_0605B23: の永宣旨を賜へり。紫衣檀林の中。住職轉昇の順序
J20_0605B24: により。一命。再命。三命の別名を立ることあり。即常
J20_0605B25: 福寺。弘經寺。大光院の三箇寺(靈巖寺は晩年にし
J20_0605B26: て幾もなく維新に入りしかば殆んど其數に加へず)
J20_0605B27: は。香衣檀林より初て轉昇すべき紫衣地なるが故
J20_0605B28: に。之を一命(或は一枚)或は初命紫衣地と云ひ。光明
J20_0605B29: 寺。傳通院は一命紫衣地より轉昇すべき再度の紫衣
J20_0605B30: 地なるか故に。再命紫衣地或は二命(或は二枚)紫衣
J20_0605B31: 地と云ふ。增上寺(知恩院も同樣なれども檀林に非
J20_0605B32: れば今之を除く)は再命紫衣地より轉昇し紫衣地に
J20_0605B33: 住する三回に及ぶ故に。三命(或は三枚)紫衣地と云
J20_0605B34: ふ。增上寺は三十二代貞譽了也が大僧正に補せられ

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