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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0601A01: 金戒光明寺百三拾石。淨華院五拾石なり。是前代の
J20_0601A02: 反動として。知恩院の爲に壓迫せられたるにもよる
J20_0601A03: べく。又住職者に手腕家を缺きしも其一因たらずん
J20_0601A04: ばあらず。變遷の際幡隨意の彼寺に住せしも。期間短
J20_0601A05: かくして事を成すの遑なく。光譽滿靈が慶安二年に
J20_0601A06: 晋山せしも。幕府完成の後なれば時既に遲くして手
J20_0601A07: 腕を振ふの餘地なく。其道德により辛く現在の伽藍
J20_0601A08: を完成しえたるのみ。
J20_0601A09: 金戒光明寺は。三山中最も幸運なりき。第廿六世
J20_0601A10: 琴譽盛林は豐臣秀賴の歸依を得て。慶長十四年御影
J20_0601A11: 堂並殿宇を再建し。又東照公の信任をえたるが故
J20_0601A12: に。藝州生口光明三昧院安置の宗祖の像を遷座し。寺
J20_0601A13: 模を振興したりしが。次で元和二年桑譽了的來り住
J20_0601A14: す。彼は觀智國師の愛弟にして。且東照公の寵愛を
J20_0601A15: えたる人なり。其黑谷本山に有利なりしこと言を俟た
J20_0601A16: ず。此二代によりて黑谷は三山中伽藍も最完備し。
J20_0601A17: 朱印石高も最多かりしなり。
J20_0601B18: 淨華院は。伽藍に於ては三山中最小なれとも。朝
J20_0601B19: 廷の内道場として特別の光輝を放てり。加之其構の
J20_0601B20: 小なるに比して朱印石高も少からざれば。黑谷には
J20_0601B21: 及ばざるも百萬遍に比べて安樂なりしこと明なり。
J20_0601B22: 二 檀林
J20_0601B23: 宗門學生の養成所即學校を檀林と稱せり。檀林詳
J20_0601B24: しくは栴檀林と云ふ。栴檀は香木にして善人德者に
J20_0601B25: 譬喩せらるること諸經論に散見す。法將常に獅子吼攝
J20_0601B26: 化し。雲衲負笈して輻湊する所なり。盖此に群集す
J20_0601B27: る衲子中には將來法龍義虎の雛子を包有し。雙葉既
J20_0601B28: に馨香芬烈たること恰も。栴檀の伊蘭林中に於けるが
J20_0601B29: 如しとの譬に取れるなり。故に冏師十八通下(十二
J20_0601B30: 七五九下)に請願淨土檀林衆努力莫殘無手愁と云ひ。
J20_0601B31: 聖聰曼陀羅疏二十二(十三五五八下)に我等幸吉水正流
J20_0601B32: 檀林末葉也と。以て冏聰二師の時既にこの稱呼の使
J20_0601B33: 用せられしを見るべし。
J20_0601B34: 然れども本宗叢林には。古來檀林の外尚一の稱呼

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