浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0601A01: | 金戒光明寺百三拾石。淨華院五拾石なり。是前代の |
J20_0601A02: | 反動として。知恩院の爲に壓迫せられたるにもよる |
J20_0601A03: | べく。又住職者に手腕家を缺きしも其一因たらずん |
J20_0601A04: | ばあらず。變遷の際幡隨意の彼寺に住せしも。期間短 |
J20_0601A05: | かくして事を成すの遑なく。光譽滿靈が慶安二年に |
J20_0601A06: | 晋山せしも。幕府完成の後なれば時既に遲くして手 |
J20_0601A07: | 腕を振ふの餘地なく。其道德により辛く現在の伽藍 |
J20_0601A08: | を完成しえたるのみ。 |
J20_0601A09: | 金戒光明寺は。三山中最も幸運なりき。第廿六世 |
J20_0601A10: | 琴譽盛林は豐臣秀賴の歸依を得て。慶長十四年御影 |
J20_0601A11: | 堂並殿宇を再建し。又東照公の信任をえたるが故 |
J20_0601A12: | に。藝州生口光明三昧院安置の宗祖の像を遷座し。寺 |
J20_0601A13: | 模を振興したりしが。次で元和二年桑譽了的來り住 |
J20_0601A14: | す。彼は觀智國師の愛弟にして。且東照公の寵愛を |
J20_0601A15: | えたる人なり。其黑谷本山に有利なりしこと言を俟た |
J20_0601A16: | ず。此二代によりて黑谷は三山中伽藍も最完備し。 |
J20_0601A17: | 朱印石高も最多かりしなり。 |
J20_0601B18: | 淨華院は。伽藍に於ては三山中最小なれとも。朝 |
J20_0601B19: | 廷の内道場として特別の光輝を放てり。加之其構の |
J20_0601B20: | 小なるに比して朱印石高も少からざれば。黑谷には |
J20_0601B21: | 及ばざるも百萬遍に比べて安樂なりしこと明なり。 |
J20_0601B22: | 二 檀林 |
J20_0601B23: | 宗門學生の養成所即學校を檀林と稱せり。檀林詳 |
J20_0601B24: | しくは栴檀林と云ふ。栴檀は香木にして善人德者に |
J20_0601B25: | 譬喩せらるること諸經論に散見す。法將常に獅子吼攝 |
J20_0601B26: | 化し。雲衲負笈して輻湊する所なり。盖此に群集す |
J20_0601B27: | る衲子中には將來法龍義虎の雛子を包有し。雙葉既 |
J20_0601B28: | に馨香芬烈たること恰も。栴檀の伊蘭林中に於けるが |
J20_0601B29: | 如しとの譬に取れるなり。故に冏師十八通下(十二 |
J20_0601B30: | 七五九下)に請願淨土檀林衆努力莫殘無手愁と云ひ。 |
J20_0601B31: | 聖聰曼陀羅疏二十二(十三五五八下)に我等幸吉水正流 |
J20_0601B32: | 檀林末葉也と。以て冏聰二師の時既にこの稱呼の使 |
J20_0601B33: | 用せられしを見るべし。 |
J20_0601B34: | 然れども本宗叢林には。古來檀林の外尚一の稱呼 |