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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0595A01: 言ふまでもなく香衣綸旨の執奏なり。之が執奏には
J20_0595A02: 檀林錄所の副狀を要せしが故に。他の三本山に對し
J20_0595A03: ては其が特權なかりしも。檀林錄所に對して單に取
J20_0595A04: 次の器械的事務なりき。然れども享保十二年以前は
J20_0595A05: なほ開衣式と云ふこと知恩院に行はれ。縱令綸旨頂戴
J20_0595A06: の者と雖とも。上京して此式に列せざる者は。香衣
J20_0595A07: の被着を禁ぜられしが故に。宗侶をして一度は必ず
J20_0595A08: 祖山に參詣して祖德を仰ぎ。總本山の尊嚴を感ぜし
J20_0595A09: むるの好機會なりしが。時世の推移變遷は之すらも
J20_0595A10: 廢せざるべからざるに至れり。享保十二年改格の令
J20_0595A11: (九)により開衣式は廢せられ。宗侶は綸旨頂戴と共
J20_0595A12: に直ちに香衣被着を許され。又態京都に赴くの要な
J20_0595A13: きに至れり。
J20_0595A14: 又淨土宗の寺院は。渾て總本山の末寺なれば。住職
J20_0595A15: 交替の際には上洛して祖廟を拜し。又本山に挨拶す
J20_0595A16: べきを要求したることは。享保七年の法度(八)第七條。
J20_0595A17: 及享保十二年の定書(九)の四五條に見るべきも。之れ
J20_0595B18: が全體に亘りて實行せられたりや否やは疑問なり。
J20_0595B19: 其の外。元和條目第廿三條に規定せる。白旗流義
J20_0595B20: の諸國の末寺は。其大小に隨ひ報謝錢を集め調べ。
J20_0595B21: 三箇年に一度づづ使僧を以つて祖師の影前に備ふべ
J20_0595B22: しとの定の如き。以つて知恩院の收入の一部に資す
J20_0595B23: るの考も多少含まれしに相違なきも。主として祖廟
J20_0595B24: を中心として宗侶の信仰統一を計るにありしこと疑を
J20_0595B25: 容れず。然れども之れが果して關東にまで及び得し
J20_0595B26: やは疑問なり。
J20_0595B27: 二 總錄所
J20_0595B28: 德川時代に一宗の樞機を握り宗務を處理せる役所
J20_0595B29: 即ち宗務所は。總錄所或ひは單に錄所と呼ばれぬ。
J20_0595B30: 本宗の總錄所は關東十八檀林の首座たる增上寺にし
J20_0595B31: て。縁山貫主は實に其の總裁たり。此の總裁を輔翼
J20_0595B32: するものは檀林能化會議にして。事務の執行者は增
J20_0595B33: 上寺役者なりき。
J20_0595B34: 增上寺が一宗の總錄所たりしことは。別に幕府の

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