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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0593A01: 畢竟知恩院宮たらしめんがためなりしかば。必らず
J20_0593A02: しも僣越の處置とも云ふべからず。
J20_0593A03: 元和五年直輔親王知恩院に入寺したまひ。滿譽尊
J20_0593A04: 照に就き出家得度し。良純法親王と號し。門主と成
J20_0593A05: りたまふや。幕府は門跡料として千四十五石餘を寄
J20_0593A06: 附したり。親王知恩院に在すこと二十五年なりし
J20_0593A07: が。寬永二十年十一月十一日。事故ありて甲斐國天目
J20_0593A08: 山に謫遷せられ。萬治二年六月歸洛したまひしも。
J20_0593A09: 泉涌寺中新善光寺に住し。寬文九年八月一日。北野
J20_0593A10: に薨じ玉ひ泉涌寺に葬り。知恩院とは關係なかりし
J20_0593A11: も。明和五年八月百年の御忌に當り。本位に復し無礙
J20_0593A12: 光院宮と號す。良純親王退位の後十三年間空位なり
J20_0593A13: しが。明曆二年五月五日。後水尾院の皇子榮宮良賢
J20_0593A14: 親王。知恩院に入り時の住持舊應に就き。得度出家
J20_0593A15: して尊光法親王と號したまひしが。延寶八年正月六
J20_0593A16: 日薨御したまひ。一心院に葬り奉る。其のち二十八
J20_0593A17: 年を經て。寶永四年六月十三日。靈元上皇皇子岡宮
J20_0593B18: 良邦親王知恩院に入り。時の住持圓理に就き得度し
J20_0593B19: 尊統法親王と號せしが。正德元年五月十八日入寂し
J20_0593B20: たまひ。後ち十六年を經て。享保十二年三月十九
J20_0593B21: 日。靈元上皇の皇子悅宮榮貞親王入りて。ときの住
J20_0593B22: 職了鑑に就き得度したまひ。尊胤法親王と號せし
J20_0593B23: が。元文四年十二月二十一日を以て入寂したまひ
J20_0593B24: て。後ち十五年を經て寶曆四年八月二十五日。櫻町
J20_0593B25: 天皇皇子富貴宮和義親王入りて。ときの住職大僧正
J20_0593B26: 了風に就き受戒したまひ。尊峰法親王と號す。親王天
J20_0593B27: 明八年八月二十一日寂したまひてより二十二年を經
J20_0593B28: て。文化七年九月二十七日。光格天皇皇子(實は有
J20_0593B29: 栖川織仁親王王子)種宮福道親王。入りて大僧正在
J20_0593B30: 心に就き受戒したまひ。尊超法親王と號す。嘉永五
J20_0593B31: 年八月二十一日(實は七月七日)寂したまふ。其の
J20_0593B32: 後ち八年を經て萬延元年十二月。伏見宮一品邦家親
J20_0593B33: 王第十二王子隆宮博經親王。大僧正淨嚴に就き受戒
J20_0593B34: し。尊秀法親王と號せしが。慶應三年十二月。復飾

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