浄土宗全書を検索する
AND検索:複数の検索語をスペースで区切って入力すると、前後2行中にそれらを全て含む箇所を検索します。
巻_頁段行 | 本文 |
---|---|
J20_0592A01: | く。一宗統治機關も此の時代に入りて始めて備はれ |
J20_0592A02: | り。其の機關配置の大體は。德川幕府の政治機關の |
J20_0592A03: | 縮圖模寫と見るをうべし。德川氏が實權實力を其の |
J20_0592A04: | 掌中に收めし如く。關東檀林就中增上寺は一宗の總 |
J20_0592A05: | 錄所として宗門全體に對する死活の權を握りたり。 |
J20_0592A06: | 德川氏が表面皇室を奉戴し崇敬したるも。其の實虚 |
J20_0592A07: | 器空名を京都に存續したるに過ぎざるが如く。增上 |
J20_0592A08: | 寺も知恩院を總本山と仰ぎ。且つ親王を奏請して門 |
J20_0592A09: | 主と崇敬したるも。一宗の大體に關することは渾て |
J20_0592A10: | 之を自己掌中に有し。唯だ香衣綸旨執奏の特權を與 |
J20_0592A11: | へしのみ。故に此の時代に於ける中心首腦の統治機 |
J20_0592A12: | 關は增上寺なりき。而して之れを輔翼賛助するは檀 |
J20_0592A13: | 林會議なるものにして。其の手足となりて全國に意 |
J20_0592A14: | 志命令を傳達するは。諸國に於ける觸頭と稱する大 |
J20_0592A15: | 寺院なりき。 |
J20_0592A16: | 一 華頂門主並に知恩院 |
J20_0592A17: | 華頂宮門主を奏請せる動機は。言ふまでもなく天 |
J20_0592B18: | 台眞言等の諸宗の例に倣ひ。彼等と拮抗して知恩院 |
J20_0592B19: | の威嚴を高め。延いて一宗の光榮を縱にするにあ |
J20_0592B20: | り。山門通規には此の動機を露骨に陳べて次ぎの如 |
J20_0592B21: | く云へり。知恩院被立置宮門跡候事知恩院滿譽 |
J20_0592B22: | 僧正之時權現樣爲御意諸宗皆宮門跡云事有之故 |
J20_0592B23: | 物氣高見へ候間淨土宗茂宮門跡可被立置被仰候 |
J20_0592B24: | 得者僧正御諚難有旨御請候云云と。之れが東照公 |
J20_0592B25: | の發意なるや。或ひは滿譽の發意にて。東照公に奏 |
J20_0592B26: | 請を請願したるものなるや容易に斷言すべからず。 |
J20_0592B27: | 而してかかる希望は。元和元年よりも遙以前に在り |
J20_0592B28: | しも。是れが實現せられしは元和元年にあり。 |
J20_0592B29: | 後陽成天皇第八皇子直輔親王が。知恩院に入寺得 |
J20_0592B30: | 度し給ひしは。條目制定後五年。即ち元和五年九月 |
J20_0592B31: | 十七日なり。入寺五年前に知恩院宮設定を條目に揭 |
J20_0592B32: | くるは稍や潜越の觀あれども。恰かも該條目裁可の |
J20_0592B33: | 前月。即ち元和元年六月。八宮は十二歳を以つて東 |
J20_0592B34: | 照公の猶子に降下せられ。其の猶子とせられたるは |